時効

なのかどうか分からないが、あれから何も変わってない日々のことを書き残しておく。

 

ずっと自死するつもりでいた。

 

大学を出ると同時に意図的に社会からドロップアウトした。いわゆる就職活動をしなかったのだ。というかこわくてできなかった。自分の価値を企業側からしか決められないのも満員電車に乗るのも人に会うのも。大学の後半からゼミ以外はまじめに行かなくなったし、なんとか卒業だけはできたという状況だった。

就職活動をしない理由として「音楽をやる」ということを親を含め周りに掲げていた。そこに嘘はない。作りかけの曲を山ほど抱えていてそれを全部書き終えたら死のうと思っていた。音楽で食べていく才能がないことは自覚していた。

あんなに使命感に駆られて曲を書くことはもう二度とないだろう。頭の中にある自分の曲を形にするための機材もなく、ただひたすら五線紙上に自分の世界を広げていった。

それと同時に死ぬ場所の下見もしていた。屋内で首を吊ると事故物件扱いになってしまい親に迷惑が掛かるので飛び降りしか選択肢がなかった、それでも周りに迷惑は掛かるのだが。駅の近くに林立するビルの屋上は容易に侵入可能だということが分かった。あの頃ビルの屋上や高架から乗り出したり大きな橋の柵によじ登って地面を見下ろしたときの気持ち、今も変わらず思い出す。

結局書きかけの曲を完成させても死ぬことはできなかった。遺書は書かなかった。高いところから身を乗り出す度に自死に失敗した後の厄介さが頭を過った。生きていたくないだけで死ぬ勇気もなかった。銃等確実に死ねる方法があったら結果は違ったかもしれない。

 

あの頃の自分に声が掛けられたとしても、何も言ってあげられない人生だった。社会人として働くことで音楽制作をするための環境は整えられたけど、結婚もできないし子を授かることもなく生きている意味も感じないし未来に展望の一欠片もない。

だけどね、かわいい姪っ子には出会えた。そのことは姉夫婦にいくら感謝してもし切れない。

重い病気の末期になってスイスで安楽死するまで、とりあえず生きてるよ。