アレンジ祭、M3、音楽活動のこと

M3の制作作業でかなり切羽詰まってるけど、書いておく。

 

DTMが苦手、というよりちゃんとした音源を揃えてなく、思った通りに仕上がらないからやる気が出ない、というのが現状だ。まず音源を揃えればいいのだろうけど、その予算はギターまわりの機材にいつの間にか消えてしまう。消耗品であるピックや弦にもけっこう掛かるのだ。

何も機材がなかった頃、五線紙の上にはあらゆる可能性があって、楽音の連なりで表現できないものはないと思っていた。弦楽四重奏木管五重奏なども作っていた。それらは誰かによって演奏されることもDTMで再現することもなく放置されたままだ。

その頃一番作ったのはピアノ曲で、それは実家にアップライト・ピアノがあったからだと思う。頭の中で鳴っている音を譜面上で組み上げても、やはり肉体となる楽器がないと命が与えられない感覚があった。

不協和音と思えるものでも、音源で鳴らすと濁って気持ち悪かったりするのに、実際の楽器で鳴らすときれいな響きとして感じることもある。頭の中の音楽を再現するのにも実際に空気を振動させる楽器の存在が大きい。

実家を離れアップライト・ピアノから離れるとピアノ曲を作る想像力もどこかへ行ってしまった。

演奏される前提で曲を作っていても魅力的でなければ誰も弾きたがらない。結果一人で完結するソロ・ギターの曲を作っていた時期もあるのだが、自分の演奏レベルを超える楽曲を作れないという抜け出せない穴に落ちた。

そしてそのまま現在に至る。

深夜の2時間DTMに参加し始め50回以上やってみたが、ギターの演奏中心でこれのどこがDTMなのだという考えが頭をもたげ、参加するのに躊躇いが出て足が遠のいてしまった。

冬休みアレンジ祭 in 2019という企画にも参加してみた。所謂DTMができないのでまわってきた曲はギターのみ16本重ねたギター・オーケストレーションでアレンジした。至らない点があっても貶したりしない、少しでもいい点があったら全力でコメントする、というとても居心地のいい場だなと思った。

来月のM3で出す新譜はギター・カルテットで制作中だ。できることをとことんやってここまで独自路線を進んで来ているが、それは苦手なことから逃げ続けているだけなのではないのかという思いが常に頭のどこかにある。DTMを駆使して生演奏さながらの表現をしている方をTLで見かけることも多くなってきてただただ感心するばかりだ。

アレンジ祭で改めて思ったけど、ギターを弾ける人は山ほど居る。そりゃ自分ごときにギターの演奏を頼んでくる人なんて居ないよな、と自分の技量を棚に上げて落ち込んでいる。

できないことが多過ぎる。

選んで来た道は正しかったのだろうか。