適材適所

すてきな曲だから多くの人に聴いてもらうためにもそうした方がいい、という知人のアドバイスもあって、コラボした曲を動画投稿サイトにアップした。動画と言ってもただのスライドショー、書いていただいた歌詞に合わせる訳でもなく、撮り溜めてあった散歩写真を朝陽が昇ってから月が出るまで時間軸順に並べ直しただけのものなのでMVというにはおこがましい。

投稿してみたものの、何日か経って再生回数2回、スパムコメントが1件というだけだったので削除してしまった。

動画投稿サイトは自分の居場所ではないのだなと改めて思った。ニコニコ動画に曲をアップしていた頃を思い出す。

フォロワー数や再生回数から見ると自分にはSoundCloudが最適だったのだが、その状況も変わってしまった。柏倉隆史氏にフォローされた頃、2〜3年前が活動の場としてのSoundCloudのピークだったのだなと思う。考えてみると大好きなバンドのメンバーからフォローされているのはすごいことだ。

それにしてもネット上には優れた音楽家が溢れていて自分の至らなさを痛感するばかり、落ち込んで手が止まってしまう。しかし自分如きが手を止めていたらどんどん距離が離されるのでやるしかない。って何の距離だろう?

思えば目指している場所があった。今も変わらずあるのだけど、生きているうちにそこまで辿り着けるのかどうかかなり怪しい。しかし引き返すのが困難なほどには歩んで来てしまった。目指す場所も戻る場所も遥か彼方だ。今立っているここが世界の果てだったのか。

自分のような社会の底辺に居る人間でも音楽を続けていられるのは、文明・文化のおかげに他ならない。誰でも芸術や娯楽を享受できる社会を築き上げてきた先人たちには感謝しかない。自分の年収は同期の友人が支払っている所得税より低いのに、好きな楽器を手にできているというのはとても幸せなことだ。

タイトルからしてこんなことを書くつもりじゃなかった筈だけど、何を言おうと思い書き始めたのか忘れてしまった。考え込んでいる間に明日の弁当の炒めものが焦げた。