人との関わり

f:id:xiukj:20201210013401j:image
 人と関わるのが恐い。

 SNSで知り合った音楽をやっている方はみんなやさしい。そういう環境に甘えて、自分も人並みにやっていけるのではないかと錯覚する。自分が化け物だということを忘れ、うっかり山を下りて人里に近づいてしまう。化け物と人とは相容れない。笑われ、恐がられ、石を投げられ、山に逃げ帰る。
 みんなが自分を笑っている。みんなが自分をバカにしている。そういう考えが頭の中を埋め尽くし外に出られなくなる。穴蔵に籠もる。地下室万歳。
 昔から人の輪の中に入るのが苦手だった。上手く打ち解けられなかった経験の積み重ねから不必要にびくびくしてしまい、ますます輪に入れなくなるという悪循環。それが余りに酷くて親が学校に呼び出されたとき、正直なことが言えなかった。家族の輪の中にも入れていなかったのかもしれない。

「いじめられる側にも問題がある」というような言い方をされ済まされたこともあるが、自分はその属性を纏っているように感じる。
 歩道に屯している中学生の集団の横を通っただけで「キモい」と言われたり、同じような状況で邪魔だなと思い通りすがりにチラッと見たら「見てんじゃねぇよ」と詰め寄られたり、そういうことは日常茶飯事だ。
 夢中になって桜の写真を撮った数日後、回ってきた自治会の回覧に「児童にカメラを向けていた怪しい男性」という事案として載っていたことがあった。発生日時からして間違いなく自分だったのだが、その場で注意してくれればカメラのデータを見てもらって濡れ衣を着せられることもなかっただろう。小学校の近くだということを忘れて写真を撮っていた自分に落ち度があったのかもしれないが。
 スタッフの制服を着て店舗内で作業をしていたときに、怪しい男が居るとお客さんに通報されて警察が来たこともあった。今にも犯罪を犯しそうに見えたのだそうだ。
 ここで挙げている例は経験した中でも軽いものだ。一体自分はまわりからどう見えているのだろうか。
 人より頭の回転が遅いのも災いしているのかもしれない。話をされていても理解に時間が掛かってしまい黙っている間に思ってもない方向に話が進んでしまう。そして一度受けた誤解を後から訂正するのはとても難しい。
 そのうち何もしていないのに何らかの容疑者として逮捕される日も来そうだ。

 人と関わるのをやめれば問題は起きない。人付き合いをせず、人が居るところには近づかない。自分の殻に閉じ籠もっていれば問題も誤解も諍いも生まれない。そういう風にひっそりと生きてきた。
 しかし情けない話だが、自分一人では何も為せないような人間なので、人との関わりに頼っている部分が大きい。
 ネットに公開していた曲を見つけて誘ってくれたメキシコのインディレーベルがなければヌンチャクゴリラとして活動を始めることはなかっただろう。
 KORG M01Dの購入を迷っていたときに背中を押してくれたmistymindsさんのおかげでM3を知り、DS-10コンピへの参加、さらにsbharuharuさんのリミックス・アルバム制作へと広がっていった。
 中村椋さんが誘ってくれたアレンジ祭でDTMerとの繫がりが増えた。
 今年一番の演奏は遠野朝海さんの即興に合わせて弾いたソロだったりする。
 自分の活動や作品が否定されたときは、いただいた感想やコメントやいいねに救われている。
 結局人と関わっていくしかないのだなと思いつつも、みんな社交辞令的にやさしく接してくれているだけなのではないだろうかと考え始めてしまいどんどん落ちていく。思い過ごしだということは分かっているはずなのだが、笑われているような気もバカにされているような気もまだしている。関わってくれているみなさんのせいではないのだが。

 先日、横浜に来ていたムラタユスラさんとライブ後にサシ飲みをしたのだが、普段音楽の話をできる人が身近に居ないこともあり、とても楽しかった。
 こういうこともあるのだから、人と関わることを恐れないでやっていきたい。

立ち止まれない

f:id:xiukj:20201113203626j:image

毎日ギターを弾いている。
ギターを弾くのをやめるのがこわい。
一向に上手くならないのに。
誰からも必要とされていないのに。
自分の価値がなくなってしまう気がして、ギターを手放すことができない。
自分の価値って何だろうか。
まあ価値なんかなくてもギターは弾く。
世界に自分一人でも、自分のためにギターを弾く。
ギターを弾くのは楽しい。

戻らない進まない

頑張っていれば何とかなると思っていた。
続けていればいつかは手が届くと思っていた。
どうにもならなかった。
目指している場所には残りの人生を全て使っても辿り着けそうにない。そのことが分かっても引き返すにはもう遅い。夢中になっているうちに随分遠くまで来てしまった。
振り返ると引き換えに諦めてきたものが並んでいる。真っ当な仕事、結婚、子ども、豊かではないにしても人並みの生活、車、イヌ、色々なものを犠牲にしておいて、今自分の手には何もない。
元々人付き合いを殆どしてこなかったので外食することも後輩に奢ることもなく、もやし等安い食材ばかりで食い繋いで貯金をして、自分の音楽を奏でるための機材を揃えた。中古で買ったずっと憧れていたレスポール、雲よりも遙か上に居るあの人のギター、一生に一度くらいはと新品で買ったギブソンの355。
しかし欲しかった機材を揃えても、辿り着きたかった場所には立てていない。

茜さす庭

広い庭がある家に住みたい。
好きな木や花を植える。
天気のいい日には木陰でギターを弾く。
今の自分には無理だろうなと思う。
金銭的にだけでなく能力的に。
2時間DTMに参加するだけで家事が疎かになる。
毎日リフを作っているだけで部屋が荒れる。
M3に向けての制作期間の度に日常生活が崩壊する。
こんな自分に庭の手入れは無理だろう。
みんなどうやってこなしているのだろうか。
水仕事をすると手がふやけてギターが弾けないから、と後回しにしてしまう。
結局何でも理由をつけて後回しにしてしまう。
今も部屋が荒れている。
ギターを弾き終わったら本を読もう。
だけどギターを弾き終えることなんてないから積ん読が増える。
イヌを飼いたい。
こんなに荒れた生活の中に放り込まれるイヌの身になったらかわいそうで飼えない。
休みが取れなくて旅にも出られないから飼うにはちょうどいいはずなのだが。
できない理由を先に考えてしまう。
思い切って踏み出せばその先の行動を変えられるかも知れないのに。

紙切れ一枚の自信

f:id:xiukj:20201022050746j:image
 綾と貢、同じデパートに勤める結婚三年目の夫婦の話。

 会社のサッカー部がなくなった貢がJリーグ入りを目指すアマチュアのクラブチームにスカウトされ、綾に無断で入団を決めてしまうところから物語は始まる。
 それをきっかけに夫婦の関係がぎくしゃくし出す。いっしょに暮らしているのに挨拶以外の会話がなくなる。話し合うべき大事なことも話さなくなる。同じようなことを考えているのにすれ違う。はらはらするようなことがどちらにも起こる。
 会社とは無関係、本気だが無報酬のサッカー。サッカーを全力でやっているからこそ手を抜かずに仕事手をやれている貢、どんなに仕事がきつくてもサッカーのおかげで切り替えができ気持ちが楽になる。働きながら音楽をやっている自分達と重なる。
 試合のあとやりきれなくて一人で飲み続けて酔っ払い、帰るに帰れなくて自宅近くの海でコンビニで買ったビールを飲んでいる貢。試合は昼過ぎに終わったのに午後九時になっても帰らない。心配した綾からの電話に「おれ、何か、キツいわ」ともらす。その一言で意地を張り合っていた夫婦が元に戻る。来てくれと言葉にした訳ではないのに綾はちゃんと迎えに行く。貢は貢で言葉にしていないのに呼び出した自覚がある。

「結婚は、それ自体が奇跡。そう。たかが紙切れ一枚。おれはその紙切れ一枚で、綾のことが他の誰よりも好きだと公的に表明したのだ。と同時に、綾にも表明してもらったのだ。確かに、人としての自信になった。うれしかった」(p.273)

 結婚したことないから分からないけど、そういう自信が自分に足りないものなのだと思った。
 ぎくしゃくしていてもそこは夫婦になった二人、どこかでちゃんと繫がっているから、危機が訪れても揺るがない。自分はそういう関係を築けていないから、うらやましい。


小野寺史宜『それ自体が奇跡』講談社文庫

価値基準は人それぞれ

 だいぶ開いてしまったが前回の補足。

 何故急に小学生の頃の片想いの話を書いたのか、それにはきっかけがあった。
 人の価値基準は場当たり的なもので、傍から見ると何気ないようなことでも当人にとってはいい思い出として刻まれることがある。その後幸せに暮らしていても、あの時はよかったなと思い出し続けるようなもの。三秋縋『恋する寄生虫』のあとがきにそのようなことが書いてあった。
 まさに初恋がこれなのかもしれない。自分にとってはいい思い出だが、向こうにしてみれば、かわいそうなクラスメイトにいつも通りただやさしくしただけ(他のクラスメイトにもそうするように)、自分に好意を寄せている男子を少しからかってみただけ、取るに足らない出来事だったと思う。
 もしかしたら自分は思い出だけで生きていける類いの人間なのかも知れない。ただの片想いだったのに、初恋のことを思い出している数日間、あの頃を追体験しているようで幸せな気分に浸っていられた。どうしようもない現実から目を背けているだけなのかも知れないが、手に取って浸れるような思い出があったことに驚いた。すぐにその浮遊感は覚めてしまったけど。
 自分には青春コンプレックスがある。中学、高校、大学と碌な学生生活を送っていない。そのことを未だに引き摺っている。束の間の輝かしい瞬間もあるにはあったが、反動が大き過ぎて覗き込めない。
 小説でも映画でも、高校や大学を舞台に何かやっているというだけで何とも言えない気持ちになる。またそれらの作品にのめり込み謳歌できなかった青春時代を取り戻そうとしている自分も居る。羨ましさと悔しさがぐちゃぐちゃに混ざり、感情の嵐が巻き起こるが何が原因なのかはっきり分からない。十代の頃に悩み切って捨てておくべきだったこと。どんなに考え込んでも過去は何も変わらない。過去に引っ張られている現在も。
 学校に行く前にギターを弾き、帰ってから寝るまでギターを弾く。当時はそれでいいと思っていたが、青春を拗らせると一生引き摺るということを知らなかった。
 高校は男子校(非モテ属性の獲得)、大学は極端に女子の比率が低い学部(非モテ属性の永続化)、仕事関係で出会いがあるような職種でもなく、周りの知人は結婚し尽くし、絶望的な環境の中で日々をやり過ごしている。もてなくて青春汁がどうのこうのと言っていた某作家でさえ結婚して子育てをしているというのに。
 独りで居るのが苦という訳ではない。だから何に絶望しているのかその正体が分からない。種を存続せんとする生物としての本能だろうか。何も為さず何も残さずに死んでいく虚しさみたいなものだろうか。まだ結婚してないのかという周りからの圧力は確実に自分の自尊心を圧迫している。
 先日、大量の未開封DVDとサーバー機に囲まれ孤独死していた40代男性の記事を見たのだが、心ないコメントの数々に憤慨した。この人の人生はなんだったんだとか、結婚していればこうはならなかったとか、真面目に生きていたらそんな最期にはならないとか、好き勝手に言われていた。勝手に惨めだったと見下されても、その人の人生がどうだったのかなんて本人にしか分からないはずだ。自身の価値観でしか他人や物事を見れない人の意見なんて燃やす価値もないゴミだ。穴を掘って埋める手間も惜しい。
 ヒトは多様性を許容することで繁栄してきたはずなのだが、同調圧力と効率化の波のせいで世界が狭められ、どんどん生きづらくなっている。

 現実逃避からくる夢想癖のことを書くはずだったのだが、思わぬところに着地してしまった。

参考文献
三秋縋『恋する寄生虫メディアワークス文庫

ジェリービーンズ

f:id:xiukj:20200916012402j:image

 後ろ向きなことばかり書いても仕方がないので、ふと思い出した小学生の頃の恋の話を。

 5年生のクラス替えで好きになった子が居た。一目惚れだ。同じ学年に居たのにそれまで気づかなかったのが不思議なくらい一目惚れた。もう一度言っておく、一目惚れた。
 出しゃばる訳でもないのに自然にクラスを仕切るような明るく快活な子だった。彼女の周りにはいつも明るい光が射しているように見えた。振る舞いからそう見えていたのだと思う。あと彼女の席が窓側だったので実際にいつも光に包まれていた。
 捻くれ始めていた俺は彼女の気遣いと明るさに引っ張られてまともになれそうな気がした。一目惚れの正しさを知った。自分には持っていないものを持っている人だから好きになったのだと分かった。

 低学年の時に好きな女子とは別に仲のいい女子が居て、周りから誤解されたりからかわれたりした経験から、好きな女子以外には一切興味を示さないことを心に決めた。好きではない女子の髪型や服や髪留めや文房具を誉めるべきではない、という間違った認識を持ち続けることになる。ちょっとしたことですぐに噂したり茶化したりする一部の人間が原因なのだけれど。
 なので俺の態度はあからさまで、周りのクラスメイトにも、気づかない振りをしていたけど当人にもばれていた筈だ。

 彼女は俺が他のクラスメイトと揉めて泣いている時に心配してくれた。周りの女子たちの「放っときなよ」という制止を振り切って声を掛けに来てくれた。「大丈夫?」と顔を覗き込んでくる彼女。そりゃ惚れるぜ(もうとっくに惚れてたけど)。恥ずかしくて顔を上げられなかった。泣き顔を見られることはどうでもよかったのだが、彼女の顔が近過ぎて真っ赤になっている自分の顔を見られたくなかった。

 ここで女子に言いたい。好きでもない男子にやさしくするべきではない。俺にやさしい女子は他の人にも平等にやさしいということを忘れて期待してしまう。
 そのまま想いを告げずに6年生になり、何がきっかけだったのか勢いで告白してしまった俺は具合を悪くてして何日か学校を休み、病み上がりで登校して得られた返事は「ごめんなさい」だった。その後もクラスの友達としてそれまで同様、名字を呼び捨てし合う仲のままだった。

 俺は父の仕事の都合で6年生の途中で引っ越すことになった。最後の登校の日の帰り、彼女は仲のいい女子といっしょにわんわん泣いていた。俺を振ったくせにそんなに泣くなよ。泣きじゃくって座り込んでしまい、お別れの挨拶がちゃんとできなかった。物事の最後ってこんな風にあっけないものなんだ、と思った。
 引っ越しの直前、彼女に電話で呼び出された。学校の正門前で待ち合わせ、彼女から手紙とプレゼントを受け取った。緊張してちゃんと挨拶ができたのかよく覚えていない。
 手紙には好きだと言われたことはうれしかったと書いてあった。
 引っ越し先から何度か手紙を書いた。返事は来なかった。虚しくなって忘れようと思った。それでも彼女のことは何年も引きずった。
 大学生の時に同窓会で彼女と再会した。幹事をやっていて、変わってないなと思った。彼女とは殆ど話をせず、二次会にも出なかった。

 彼女は『メリー・ポピンズ』が好きだと話したことがあった。無知だった俺は何のことか分からず、その時一瞬頭に浮かんだのがジェリービーンズだった。話を聞いているとどうやら古い映画のことのようで、そういう映画に触れる機会があるなんてすてきな家庭環境なのだなと思った。
 なので彼女の記憶を辿るとき、ふいにジェリービーンズが頭を過る。

 彼女とは同じ塾に通っていた。
 彼女に告白する少し前のことだったと思う。
 塾が終わり、学校が同じ4人でいっしょに帰ろうとしていた。塾の壁が掲示板のようになっていて、前回のテストの結果やこれからの予定等が貼り出してあった。俺がテストの順位表を見ていたら、ふと彼女が壁に手をついて俺に寄り掛かってきた。他の2人に話し掛けつつ彼女もテストの結果を眺めているようだったが、ドキドキしてどうにかなりそうだった。彼女は平然と他の2人と話し続けている。話の内容なんて頭に入って来ない。触れてる部分が熱い。なんかいい匂いもする。とても長い時間に感じられた。胸の高鳴りが彼女に伝わってしまうんじゃないかというくらいドキドキしていた。このままでは心臓が破裂どころか自分が爆散してしまうと思い「もう帰らなきゃ」と言って俺は彼女から離れた。完全に俺に寄り掛かっていた彼女はがくんとなって少しふらついた。階段を降りる前に振り返ると彼女は恥ずかしいような残念なような表情をしていた。
 今でもあれは何だったのかと思う。告白なんてせずあの時間の中にずっと居たかった。何故自分から離れてしまったのか。彼女はあの時何を考えていたのか。

 彼女のおかげで、これといっていい事のなかった小学校5年生からの1年ちょっとの思い出が、全てきらきらしていてる。思い出すとぽかぽかしていて幸せな気分になる。何を思い出しても近くには周りを明るく照らす太陽のような彼女が居る。
 だからもう一度言いたい。一目惚れは正しい。