結局ギターを弾いている
いつもギターを弾いている。このへっぽこな腕前からしたらギター歴を曝すのは恥ずかしいが人生の3分の2ほどギターを弾いてきた。
演奏技術の上達が著しく遅いのに何故ギターという楽器に拘り弾き続けているのか自分でもよく分からない。作曲に専念するために遠ざかっていた時期はあるけど、結局ギターを手にしている。
今までギターに費やしてきた時間を作曲や理論の勉強に充てていればもっと音楽的に成長できていたのではないかと考えたりもする。
機材に関してもギターに注ぎ込みすぎている。オーケストラ曲を作るのを目標としていた時期もあった。今なら音源を買い揃えれば個人でもDTMでそれなりの作品が作れる。なのに一向に音源を買わず、今年もリバーブを新調してしまった。いったい何台目のリバーブだろう。管弦楽法の勉強もしなくなった。増えていくのは音楽理論の知識ではなくエフェクターという魔法の小箱ばかり。
昔書いたいくつかの弦楽四重奏にしても木管五重奏にしても、今聴き返すととても拙い。当時はとてもいい曲が書けたと思い込んでいたが、使用音源の貧弱さを差し引いてもいい出来とは思えない。そういうことに向いていないのだろう。そして無意識下でそう自覚していたからギターを弾いてきたのかもしれない。大して上手くはない唯一の特技。
去年深夜の2時間DTMに参加し始めてからも果たしてこれをDTMと呼んでいいのかと思っていた。打ち込んだドラムにベースを弾いたりギターを何本か重ねたりしただけのもの。作曲15分、録音に1時間というバランスの悪さ。ルーパーを導入してからはドラム・パターンもルーパー任せ、ベースもギターもルーパーで重ねてもはやデスクトップというよりオンザフロア。
この体たらくで無謀にも冬休みアレンジ祭に参加。回ってきたボカロ曲をギター16本のみのギター・オーケストレーションにアレンジして全くDTMとは呼べないものになった。いい反応もあったし手応えもあった。これが自分の持ち味だし個性と言えなくもない。得意なことに逃げているだけかもしれないけど。
ギターだけでやると割り切って他のことを捨てたら何だか楽になった。その結果、M3-2020春の新譜は全編ひとりギター・カルテットによる作品になった。
今日も相変わらずギターを弾いている。
車はエンストするけどJAFは信用してない
あるいは歌と歌詞の話。
タイトルは好きなバンドの歌詞の聞き間違いでJAFに対しては何の恨みもない。
音楽作品を聴くとき、曲のタイトルや歌詞を見るのはある程度聴き込んで音が体に染み込んでからにしている。先入観を持たずに作品に触れたいからだ。
まっさらな気持ちで歌を聴くのは難しい。英語や日本語、意味が分かる言語で唄われているとどうしても歌詞の意味が頭に入ってきてしまう。純粋に発せられている音として唄声を楽しみたいときもある。
スペイン語のラップやフランス語のハードコアを聴くのはそういう理由からかもしれない。意味が分からずこれは怒ってるのかなこっちは楽しんでそうだなと勝手に想像しているが全く違うことを唄っているのかもしれない。
しかし歌と歌詞は切り離せないものだ。感情を込めて唄うために言葉をメロディに乗せる。そうして唄われた歌は言葉が通じない人にも気持ちが伝わりそうだ。
聞き間違えていた歌詞はthe HIATUSの「Shimmer」という曲。
Now my cars is always stalling out
And I don't believe in chance
"Shimmer" by the HIATUS (Lyrics by Takeshi Hosomi)
chanceがJAFに聞こえてた。多分車がエンストという箇所に引っ張られてしまった。
あとはAnd I paint a coat in blackのcoat inがcurtainに聞こえてた。まあ英語の歌詞は意味や物語より韻に重きを置いていたりするので問題ないか。
この「Shimmer」という曲が大好きだ。それまでは「Insomnia」での不眠症の悲痛なSave meという叫びに共感していたのだが(今もしてるか)、I'm waking up this timeと繰り返し唄われる「Shimmer」は希望に溢れていて「Insomnia」の彼は救われたんだなと勝手に思って泣いた。
「Shimmer」は発売から3年かけてライブの最後で演奏される曲にまで成長した。うれしかった。Keeper Of The Flame Tour最終日、新木場Studio Coastで武道館ライブを発表した時のアンコールが「Shimmer」だった。あの場に居合わせたこと、本当に宝だ。終演後めでたい気分で飲めない酒を飲み、最寄り駅に着く頃にはふらふらで、這いつくばってホームのベンチまで辿り着き少し休んでから帰宅した苦い思い出。
武道館で「Shimmer」が奏でられることはなかった。
適材適所
すてきな曲だから多くの人に聴いてもらうためにもそうした方がいい、という知人のアドバイスもあって、コラボした曲を動画投稿サイトにアップした。動画と言ってもただのスライドショー、書いていただいた歌詞に合わせる訳でもなく、撮り溜めてあった散歩写真を朝陽が昇ってから月が出るまで時間軸順に並べ直しただけのものなのでMVというにはおこがましい。
投稿してみたものの、何日か経って再生回数2回、スパムコメントが1件というだけだったので削除してしまった。
動画投稿サイトは自分の居場所ではないのだなと改めて思った。ニコニコ動画に曲をアップしていた頃を思い出す。
フォロワー数や再生回数から見ると自分にはSoundCloudが最適だったのだが、その状況も変わってしまった。柏倉隆史氏にフォローされた頃、2〜3年前が活動の場としてのSoundCloudのピークだったのだなと思う。考えてみると大好きなバンドのメンバーからフォローされているのはすごいことだ。
それにしてもネット上には優れた音楽家が溢れていて自分の至らなさを痛感するばかり、落ち込んで手が止まってしまう。しかし自分如きが手を止めていたらどんどん距離が離されるのでやるしかない。って何の距離だろう?
思えば目指している場所があった。今も変わらずあるのだけど、生きているうちにそこまで辿り着けるのかどうかかなり怪しい。しかし引き返すのが困難なほどには歩んで来てしまった。目指す場所も戻る場所も遥か彼方だ。今立っているここが世界の果てだったのか。
自分のような社会の底辺に居る人間でも音楽を続けていられるのは、文明・文化のおかげに他ならない。誰でも芸術や娯楽を享受できる社会を築き上げてきた先人たちには感謝しかない。自分の年収は同期の友人が支払っている所得税より低いのに、好きな楽器を手にできているというのはとても幸せなことだ。
タイトルからしてこんなことを書くつもりじゃなかった筈だけど、何を言おうと思い書き始めたのか忘れてしまった。考え込んでいる間に明日の弁当の炒めものが焦げた。
コラボのこと追記
遠野朝海さんに唄っていただいた曲「Shade」が完成した。
少しでも広めたいという思いから離脱していたツイッターに戻った。とても久し振りのような気がしたが、17日しか経っていなかった。
無名の自分がある程度知名度がある人に歌を入れてもらうのには正直に言うと少し抵抗があった。本当に望んでいることなのにも拘らず名前を売るためのあざとい行為だと思われてしまうのではないかと。いつもの考え過ぎだ。
歌詞に関しては遠野さんに丸投げで何も伝えてなかったのだが「あと少しを信じても届かないいつでも」という一節を見つけてとてもうれしかった。届きそうで届かないけどどうにもならない、という気持ちで作った曲だったので、それが少しでも伝わったのならよかった。
全体を通して遠野さんが作る世界を覗いているようで自分の曲だということを完全に忘れるほど聴き入ってしまったりした。
遠野さんに唄ってもらえて本当によかった。
コラボのこと
十代の頃にやっていたバンドをやめてから誰かと音楽を作るということを全くしていなかった。勝手にリミックスを作ったり、リミックスを依頼されたりはあったけど、それは共同作業というより二つの個別作業でしかない。
1年ほど前からこの人といっしょに何かやりたいなと思っていた人が居て、ようやくそれが形になりそうだ。
最初はM3-2019秋で出したアルバムにピアノで参加してもらおうと企んでいたのだが、一人で完結すべきコンセプトを掲げていたので断念した。
M3秋のちょっと後、某オフ会ライブでお会いする機会があったのだが、持ち前の人見知りスキルが発動して殆ど何も話せなかった。
その後も、何ができるだろうかとか、どうしたらお互いの持ち味が引き出し合えるだろうか、果たしていっしょにやる意義はあるのか、などと考えていた。
ある日、その人がアップしたピアノによる即興を聴いた瞬間に「これだ!」と思った。身を委ねてギターを弾いていられるような心地よい響き。思うままにギターを重ねてみた。自分一人では開けられない引き出しが開いた感覚があり、こんな風にギターを弾けるのかという発見があった。くまひつじちゃんさんから反応があったのもうれしかった。 これも個別作業の積み重ねでしかないのかもしれないけど、一人で勝手にしっかりとした手応えを感じていた。
そもそもコラボって何だろうか。いっしょに音楽を作る行為は何なのだろうか。誰かの曲をリミックスするのも、作った曲のパートを誰かに生演奏に差し替えてもらうのも、誰かが作った曲を編曲するのも、全部コラボと言って差し支えない気もするけど、いっしょに何かを作るからには相互作用のような残るものがあった方がいい。お互い何か得るものがなかったらいっしょにやる意味なんてない。
などと考えていると足踏みしたまま先に進めないので思い立ったことはやってみることにした。こっちの一方的な手応えだとしても得られた方がいい。
何年も前に作ったままだった曲をその人といっしょにやることに決めた。快く引き受けていただき唄っていただけることになった。
歌唱音源を待っている間にこの記事を書き始めたのだがもう届いた。早い。
曲の世界を広げるようなぴったりな歌詞、唄声の持つ説得力、普段から詞を書いて唄っている人の力を痛感した。
長年大切に寝かせていたこの曲は今日この日のためにあったのだなと救われる思いで繰り返し聴いている。
火気厳禁
別にタイトルに深い意味はない。
ツイッターから離れて10日経った。
ある人と連絡を取りたかったので久し振りに開いた。DMでのやりとりだからTLは覗かなくてもよかったのだが少し見てしまった。
ひっそりと過ごしていきたいけど自分の曲は聴いて欲しいという欲求の落としどころを探している。
インスタグラムの写真にしてもそう。普段は誰も見ていないのにハッシュタグを付けた途端にいいねが付いたりする。そういうあざとさを厭うのに結局多くの人に見て欲しい自分に気づく。
ひっそりとひた向きにやり続けていることにそれとなく気づいて共感してくれた人だけが集まってくる、というのが理想だ。そのためには間口を広げてより多くの人に知ってもらう必要がある。つまりは大きな声で宣伝をしないといけない。全然ひっそりとしてない。
実際はそうではないのにさりげなさを装って隠したあざとさは見え見えだと思われることほどかっこ悪いことはないと思って行動できない自分ほどかっこ悪いものはない。
孤独に歩め、悪をなさず、求めるところは少なく。
林の中の象のように。
ひとつ前の記事で書いた小学校時代のことを強く思い出したら他のことまで色々と蘇ってくる。高校の頃にカウンセラーに親を呼び出された一件とか。負の連鎖、ではないか。負の感情の連鎖。
こっちは仲良くしていたつもりだったのに実は輪の中に入れてもらえてなかった、というようなことがよくある。自分に落ち度があると思いびくびくしてしまうので余計に輪の中に入っていけなくなる。そして気づくと孤立している。
独りでいることに苦痛を感じない性分なので全く困らない。根本的な問題がここにある。ある程度は人と関わっていないと人間的な生活は送れない。
休日に友人と会うことがストレス解消になる人も居れば、独りで過ごす時間がないとストレスが溜まる人も居る。自分は後者で、小学生の頃、日曜日が習い事で潰れるのが厭で泣きながら親に訴えたことがあった。独りで空想に耽る時間が少なくなるのが本当に厭だった。行ったら行ったで友達とわいわいやっていたりしたのに。
孤独を貫こうとしていたにも拘らず何故かこんな自分にかまい続けてくれて今も付き合いがある友人たち。同じ性分で人見知り同士なのに不思議と仲良くなった大学の同期。こっちからしたら数少ない友人だけど向こうは他にもたくさん友人が居るということが更に自分を孤独へと向かわせる。
親類以外の結婚式に呼ばれたことがないという事実が自分の人付き合いのなさを一番物語っている。
結婚式を挙げるとして、自分側の列席者が親類だけだったら嫁側の人にどう思われるのだろうかと余計な心配をしている。嫁になる予定の人も居ないのに。
良き伴侶を得られない場合は
孤独を貫け
孤独に歩め
悪をなさず
求めるところは少なく
林の中の象のように