12年間変わらない自分の現在地

あるいは『アジカンが立ち続けている場所と新録ソルファ』


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12年前の自分の誕生日に発売されたASIAN KUNG-FU GENERATIONのアルバム『ソルファ』。ポップさと実験性を二項対立ではなく難なく両立させたアジカンの魅力は『ソルファ』の前に発売されたシングル『サイレン』で既に完成されていたように思う。その辺りのことは阿部真大が『世界はロックでできている』で評しているので、ここで俺が改めて言うことは何もない。

12年経っても、俺の現在地は少しも変わってない。端っこに留まったまま、中心へは1ミリも近づいていない。六弦の三フレットを刻み続けていたものの、たった一人の君へすら届いちゃいない。←「振動覚」風。

当たり前だが。常に最前線に立ち続けているアジカン とはえらい違いだ。実験性を保ち続け、それでいてポップさを兼ね備え共感を生むアジカンの勢いは、一向に衰える気配がない。

何故そのアジカンが12年前の作品をまるごと録り直すことにしたのか。

俺は新録『ソルファ』に何を期待していたのか。

『ソルファ』を聴いていると自分の焦りや忸怩たる思いを再確認できる。才能もなく何者にもなれない自分を励ますように響き突き落とす。12年経ってもそれは変わらない。ちくちくと心のどこかを刺激する。痛い。しかしその痛みは一人で抱えているものじゃないよと教えてくれる。

 

ふと思い出したので、ここで少し昔の話をする。大槻ケンヂについてだ。

「猫のリンナ」の中で、猫の背に爆弾を括り付けて世界を燃やしにいこうと言っていた大槻ケンヂ。だがその5年後に改編を行い、猫の背におむすびを括り付けて梨もぎにいこうという内容になった。

当時の俺にはこの心変わりが理解できなかった。世界を燃やしたいという大槻ケンヂに共感していたのに裏切られた気分だった。筋肉少女帯はその後もずっと聴き続けていたが。

おむすびと爆弾、今の自分だったらどちらを選ぶだろうかと考えてみる。

世界を燃やしたい気持ちが少し勝っている。

 

さて、今現在のアジカンによって最新版にアップデートされた新録『ソルファ』。細かい違いはたくさんあるが、受ける印象は変わらない。最前線に立ち続けているからこそアジカンは変わっていない。

優れたロック・ミュージシャンは吟遊詩人であり伝道師でなければいけない。同時代性を表現しつつも若い頃の焦りを忘れず、報われない者たちの代弁者で居続けなければならない。俺にとってアジカンはそういう存在だ。

 

 

ASIAN KUNG-FU GENERATION - ソルファ

阿部真大 - 世界はロックでできている

大槻ケンヂ - 猫のリンナ