バンドマンになりたかった。

つまりは『バンドマンになれなかったギター弾きの話』

 

20代のうちに、徹底的にバンド活動をし尽くしておくべきだったとずっと後悔している。いまだにそれは自分の皮膚を焼き続けているような感覚で残っている。

バンド活動を全くしなかった訳ではない。

ラジオの企画バンドに所属してわりと大きなホールでライブをしたこともある。その後は○○○主催のコンテスト・ライブに出たり、リハスタに何回か入っただけで消滅したバンドが2つあったりで、バンドマンと呼べるような活動はできなかった。

仲間を集める力がなかった。

誰かに誘われる力も、どこかに所属する力もなかった。

はい、ただの力不足です。努力不足と置き換えられても仕方がない。

そして焦燥感は鳴り止まない。耳鳴りという形で今も。

 

急にこんなことを書き残しておこうと思い立ったのはこの本と出会ったから。f:id:xiukj:20180725171446j:image

カザマタカフミ『売れないバンドマン』

3markets[ ]というバンドのギターボーカルの著書。

著者のバンドにまつわるあれこれがかっこつけることも飾り立てることもなく淡々と綴られている。それだけにひしひしと伝わってくる感情が胸を打つ。刺激されて自分が抱えてきたバンド活動への思いが揺さぶられる。

特に9mm Parabellum Bulletのかみじょうちひろとのこと、よくこんなにさらっと率直に書けるなと感心する。冷静にまわりが見渡せて自己分析もできてる。何故売れないんだ3markets[ ]。

でもこの本が俺の目に止まったくらいだから、ひょっとしてもう売れ始めてるんじゃないのか。

3markets[ ]、一度ライブを観たことがある。媚びない感じと初期衝動が残ってる感じ(映画『ソラニン』で種田が歌詞を忘れてばぁーっと思いのたけを音楽に乗せて話したシーンのあの感じ)に好感を持ったが、その日は疲れていたのでそのまま帰ってしまった。今度はちゃんとCD買います。

 

先日、久し振りに昔のバンド仲間に会いに行った。彼女は今も音楽を続けているし、CDも売れてるし、バンドも続けている。

そのことが羨ましいやら悔しいやらでちゃんと話せるのか不安だったけど、向こうは全然変わってなくて、昔のまま普通に話せた。今の音楽仲間に「めちゃめちゃギター上手いんだよ」と紹介されたりした。めちゃめちゃギター上手かったらこんなことになってないよと思いつつも、その言葉はうれしかった。

 

バンドマンにはなれなかったけど、相変わらず今もギターを弾いている。人生の3分の2以上をギターとともに歩み続けている。

轟音でギターを掻き鳴らしたときにしか得られない感情と呼び起こされる衝動があるんだ。

だからこれからもずっと弾き続ける。