叔父とギター、M3-2020春のこと2

去年、法事で帰省したついでにもう誰も住んでいない祖父母宅の片付けを手伝いに行った。

店舗を兼ねていて、シャッター付きのガレージの奥からも中に入れるという変わった構造の家だった。ほぼ納戸と化していたそのガレージにあったコンバースの箱、中にはローマ字で書かれた叔父のファーストネームと共にデモテープ#0〜8と記された9本のカセットテープが折り畳まれた紙束といっしょに詰められていた。

紙束は各テープに収録されている曲の詳細が書かれたルーズリーフだった。デモテープ#0以外は4トラックのMTRで録られたものだということが分かった。曲名の横に3桁の番号、日付、各トラックに何が入ってるのかのメモ。メロディ、クリーン、アルペジオ、ソロ、バッキング等と書いてあるが全てギターのようだった。88〜89年、叔父が高校生の頃に作り録り溜めていた曲たち、その存在を今まで知らなかった。叔父がギターを弾いていたという事実すら知らなかった。帰省の際にギターを持って行ってたこともあるのにそれを見ても叔父は興味なさそうにしていたし、ギターの話なんて全くしたことがなかった。

叔父が不在なのをいいことにコンバースの箱ごと自分が持ち帰った。

ハードオフでタスカムのMTRを買い、叔父のテープを聴いた。曲名の横に記されていた番号はカウンターの数字だということが分かったのだが、メーカーによって差があるのか先に行くにつれてだいぶずれが出た。

叔父はかなりロックな人だったんだなということが分かってうれしかった。アメリカンロックのような明るいギターリフにメロディを重ねたスタイルが大半だった。バンドでやる歌もののデモみたいなものだったのかもしれない。音的にはオーバードライブをそのままMTRに突っ込んだような歪みが主で、所々にアナログ・ディレイが使われていた。きっとそれしかエフェクターがなかったのだろう。

粗削りで拙い面も目立ってはいたが、叔父が作った疾走感溢れる曲たちにどんどん惹き込まれていった。次第にこれを他の人にも聴いてもらいたいと思うようになった。しかし叔父が残したテープは経年劣化で音質も悪くよれが酷い箇所もあり、とてもじゃないがこのままでは出せない。

ということで自分でカバーすることにした。当時の叔父と同じくカセットテープMTRによる録音で。

 

以上が今回のM3で作品を発表するに至った経緯だ。

ただ、自分にそんな叔父は居ない。ガレージでコンバースの箱に詰められたカセットテープを見つけてもいない。これはカセットテープ録音に拘る理由が欲しくてでっち上げた物語だ。だからこの話にはオチもない。