紙切れ一枚の自信

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 綾と貢、同じデパートに勤める結婚三年目の夫婦の話。

 会社のサッカー部がなくなった貢がJリーグ入りを目指すアマチュアのクラブチームにスカウトされ、綾に無断で入団を決めてしまうところから物語は始まる。
 それをきっかけに夫婦の関係がぎくしゃくし出す。いっしょに暮らしているのに挨拶以外の会話がなくなる。話し合うべき大事なことも話さなくなる。同じようなことを考えているのにすれ違う。はらはらするようなことがどちらにも起こる。
 会社とは無関係、本気だが無報酬のサッカー。サッカーを全力でやっているからこそ手を抜かずに仕事手をやれている貢、どんなに仕事がきつくてもサッカーのおかげで切り替えができ気持ちが楽になる。働きながら音楽をやっている自分達と重なる。
 試合のあとやりきれなくて一人で飲み続けて酔っ払い、帰るに帰れなくて自宅近くの海でコンビニで買ったビールを飲んでいる貢。試合は昼過ぎに終わったのに午後九時になっても帰らない。心配した綾からの電話に「おれ、何か、キツいわ」ともらす。その一言で意地を張り合っていた夫婦が元に戻る。来てくれと言葉にした訳ではないのに綾はちゃんと迎えに行く。貢は貢で言葉にしていないのに呼び出した自覚がある。

「結婚は、それ自体が奇跡。そう。たかが紙切れ一枚。おれはその紙切れ一枚で、綾のことが他の誰よりも好きだと公的に表明したのだ。と同時に、綾にも表明してもらったのだ。確かに、人としての自信になった。うれしかった」(p.273)

 結婚したことないから分からないけど、そういう自信が自分に足りないものなのだと思った。
 ぎくしゃくしていてもそこは夫婦になった二人、どこかでちゃんと繫がっているから、危機が訪れても揺るがない。自分はそういう関係を築けていないから、うらやましい。


小野寺史宜『それ自体が奇跡』講談社文庫