毎日リフ作りのこと

 毎日リフを作っている動画投稿、今日で20日目。順調に続いている。1週間ごとに振り返ろうと思っていたがそれはやめた。
 昨日、ちょっとした事故が起きた。何となく作って投稿したアルペジオ、遠野朝海さんが深夜の2時間DTMの「アコースティック・ギターアルペジオ奏法」というお題でやった曲だった。発表当時遠野さんの投稿に合わせて自分だったらどう弾くかなと何回かさらったのは覚えている。ひと月半経ってすっかりそのことを忘れていたがどこかに響きが残っていたのだろう。コード進行はなぞっているもののアルペジオ自体は自分で練ったものなのでまあいい。与えられた曲にフレーズを考えて当てるのも立派なリフ作りだ。そして今日は開き直ってさらにその続きっぽいのをやった。
 毎日リフ作り、2時間DTMと違い自分のペースでできるのがいい。翌日の仕事に差し障ることもない。しかし全くと言っていいほど反応がない。余りにも寂しいので途中からインスタグラムの投稿をツイッターに転載するようにした。それでも殆ど反応はない。自分の演奏力の向上と癖の把握とそこから引き出しを増やすためにやっているので周りの反応は関係ないといえば関係ないのだが、投稿している以上気にはなる。結局消えない承認欲求。
 ベーシストの横山渉さんからいいねをもらったりするのがうれしい。

多様性として許容されるのか

 自分が好きな映像作品について書いていたら横道に逸れて本筋に戻れそうになくなったので、そのことをここに独立した記事として書いておく。

 「お前らは無駄飯食ってるガキなんだから」

 小学校の先生に言われた言葉が今も響く。何かやらかしての説教だったはずだが、何をやらかしたのかは全く覚えていない。なのに言われたことははっきりと覚えている。
 その頃は考えてもみなかったが、この先何も残すことなく生きていく自分は今も無駄飯食らいなのではないかと考えてしまう。社会の構成要素ではあるはずだが欠けても誰も困らない。誰かの役に立っているという実感がない。
 ヒトは多様性を獲得することで種として存続してきた。極端な譬えだが、同じ食べ物の食中毒で集団が全滅というような事態を回避するために、個体ごとに嗜好が違い好き嫌いがある。全体で見れば不必要な個人は居ないという考え方だ。余裕というか遊びというか、そういう幅が齎す効用。役に立っているのか立っていないのか、集団にとって必要な要素なのかそうでないのかは、神の視点をもたない個人では判断できないのかもしれない。
 こんなことがぐるぐると頭の中を巡るのは疲れているからだろうか。
 ギターを弾くという行為も、楽器屋の売り上げには繫がっているし経済を回しているという観点では役に立っている。まあギターは誰も聴いてなくても世界の役に立っていなくても弾き続けるのだが。
 逸れた横道からさらに逸れて、結局書こうと考えていたことと違うことを書いていた。
 フリック入力と違いキーボードを打鍵していると自動手記みたいになってしまう。
 それにしてもポメラ、お前が大学生の頃に居たら課題や論文がとても楽にこなせたのにな。

音楽仲間が欲しかった。

 ツイッターには戻れそうにない。ここのところ毎日リフ作り動画の転載ツイートしかしてない。
 学校に行かなくなるあれといっしょだ。最初は1日ぐらい休んでも大丈夫かなという気持ちで始まって、まああと2日休めば週末だしと追加で休み、何となく戻りづらくなってそのままずるずると休んでいたら夏休みに入ってしまい、休み明けにしれっと戻れば気づかれないかなと考えつつ二の足を踏んでいたらいつの間にか冬休みに入っていたというあれだ。
 そうならないようにたまにTLを覗く。誰かが作った曲のよさに打ちのめされて感想も伝えずにそっと閉じてしまう。ここは自分の居場所ではないという思いがまた強まる。うまく馴染める気がしない。

「ライブハウスにしか居場所がないお前ら」

 あるバンドのボーカルがいつも言っていた。「学校や会社でお前らがどんなに厭な奴か知らないけど、今ここに居るお前らが本当のお前らだからな」と。それ、逃げてるだけなんじゃないのといつも思っていた。ライブを観ている時間がいくら楽しくても戻るべき日常は何も変わらずそこにある。全く共感できずに覚めていく。会場は盛り上がる。

 自分はというと、学校にもライブハウスにも居場所がなかった。自室以外に居場所がなかった。周りに音楽に興味のある人間が居なかった。

 大学の軽音サークルに入りかけたことがあった。
 初めて部室を訪れたとき、そこにあったストラトとマーシャルでイキッてイングヴェイを弾いた。同じ新入生に「君がギターやるなら俺ベースに転向するからいっしょにバンドを組まないか」と誘われたが、自分よりレベルが低い人たちとやってもなと躊躇してその軽音サークルには入らなかった。大学で空き時間にギターを弾く環境があったらもっと上手くなっていただろうに。得られる経験が周りの演奏レベルに左右される訳でもないと今なら思う。

 バンドで出ていたラジオ局のイベントで知り合った、相棒と言って差し支えない鍵盤弾きといっしょにやっていた時期もあった。シンセが並んでいる彼の部屋で曲を持ち寄りセッションしたり、泊まり込みで曲を作ったり、楽しかった。俺が活動の仕方で行き詰まっていたときに声を掛けてもらい彼のバンドといっしょにスタジオに入ったこともあった。あのままずっといっしょにやっていたらどうなっていたのかなと思ったりする。彼といっしょに作った音源が1曲だけ手元に残っている。
 俺よりギターが上手い後輩からも「自分がベースをやるからあなたとバンドがやりたい」と言われたことがあった。結局彼とは一度じっくり話をしただけだ。

 振り返ってみると居場所も仲間も得られる機会があったのに、自分で棒に振っていたのだな。少しでも妥協するくらいなら独りでやろうという姿勢が間違っていたのかも知れない。

ポメラニアンになりました。

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 ポメラを買った。文筆を生業としている訳でもないのに。
 しかし日常的に大量の文章を書いてはいる。手帳には日記のようなものを書き、戯言をメモ帳に書きつけ、思いついたアイデアはノートに書き殴っている。曲作りや制作の過程を記しているノートもある。
 文章を書く一番の理由は、頭の中に溢れる大量の雑多な考えや思いに行き場と秩序を与え、言葉に変換して頭の外へ出すことだ。そうしないとただでさえ低い自分の頭の処理能力がさらに落ちてしまう。
 ある程度まとまった文章を書くには電子媒体が楽だ。文章の添削、構成の入れ替え等、電子入力の手軽さと助けがないと考えがまとまらない。特に自分のような書きながら思考を整理していくような人間は。最近は某アプリでPCとスマホを同期させて管理をしている。出先ではスマホでの文章作成が主になるがフリックでは思考の速度に入力が追いつかない。スマホBluetoothキーボードを繫いで試していた時期もあるが、変換候補の選択に癖があったり使えないキーがあったりショートカット・キーが使えなかったりとフリック入力の方がまだましだと感じてやめた。
 ポメラ、使い勝手がとてもいい。電源ボタンを押してから爆速で起動する。スマホと違い通知は来ないしつい手癖でツイッターのTLを覗いてしまうこともない。執筆作業に集中できる。駄文を捏ねくり回すことを執筆と言っていいものかどうかは疑問だが。MacBookにHHキーボードを繫いで文章入力をしている人を見かけたことがあるが、テキスト・エディタを使うだけならポメラだけでいい。キーボードは小さ過ぎず丁度いい大きさで打ち心地もいい。余計な機能は一切なく必要な機能は揃っている。
 結論、さっさとポメラを買えばよかった。
 欲を言えばこのまま直接Evernoteと連繫取れたりはてなブログに投稿したりできればいいのになと思う。

 

この記事はポメラで入力しQRコード読み取りでスマホに取り込んだ。この文量でQRコード6枚、これ以上長い場合は別の方法で取り込んだ方がいいだろう。

毎日リフ作り第1週

毎日新しいリフを作る、第1週目の振り返り。

ツイッターにもインスタグラムにも何も書き込みたくないのでここに書いておく。どうせ誰も見てないし。

 

1日目 ドロップD、オクターバー

https://www.instagram.com/p/CBkyVwCBJYD/?igshid=31b2f3pilqtt

たまたまオクターバーを引っ張り出してたのでそのまま低音の響きが気持ちいいリフを弾いた。単音ユニゾン万歳。

 

2日目 アコギでアルペジオ

https://www.instagram.com/p/CBmluS5hAtt/?igshid=u80qi5vq55zn

行き詰まったらアコギに持ち替えようと思っていて2日目で早くもアコギ登場。開放弦を活かしたアルペジオ、要はいつものやつ。

 

3日目 アナログ・ディレイ

https://www.instagram.com/p/CBp5nU0hOpo/?igshid=u7qgmhvhp7ky

この日は何も浮かばず、ディレイを繋いで事なきを得る。勢いで弾き切っているこの感じ、やはり自分はロッカーなのだと思った。セオリー通りにディレイを歪みの後段に繋いでいる人ばかりだけど、こういうのを弾くときは歪みの前段がいい。このことは広めていきたい。

 

4日目 アコギ

https://www.instagram.com/p/CBrm_3whkEZ/?igshid=p1barvj6n51z

プリングとハンマリングの箇所が弱くて上手く弾けてないと思っていたが動画を再生するとちゃんと鳴っていた。客観的に確認するの大事。

 

5日目 アコギ

https://www.instagram.com/p/CBvHxAahX8y/?igshid=1w5gllmotlq2p

嵐のように風が強かった日。そういうリフになるかなと思いながら帰ったが、落ち着いたものになった。コードの中の強調したい部分のみ2音だけ残すという弾き方をいつもするのだがこれの後半もそう。5度だけ3度だけとか。要はいつものやつ。

 

6日目 アコギ、スラップ奏法

https://www.instagram.com/p/CBxr9QrBu2G/?igshid=8umzgsxj84b4

今までやってないことにも挑戦しようと思いスラップを。正しいやり方がよく分からない。ギターは弦間が狭くて人差し指の爪の付け根の皮が引っ掛かって捲れてしまう。突っかかったけど録り直せなかった。精進します。

 

7日目 アコギ

https://www.instagram.com/p/CB0E1yqhCIM/?igshid=1s7md10o79s2b

午前中、雨の中を散歩してるときに今日はこういうのにしようと決めた。ルートと上2音だけという、まあいつものやつ。

 

自分の実力を上げるためにこの取り組みを始めたけど、まだ1週間なので効果は判断できない。

基本はエレキギターで、変化をつけたいときはアコギで、と考えていたのに7回中5回がアコギという自分でも驚く結果になった。

その日の気分でぱっと組み立てる、というやり方でやっているが、何も思い浮かばなかったらどうしようという恐怖を毎日感じている。刺激的でいいけど、これがストレスに変わったらやめると思う。

毎日新しいリフを作れるのか

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SNSとの距離の取り方を模索している。

ツイッター、好きでフォローしてる人ばかりなので目にしたくないようなツイートは流れてこないのだが何故かしんどくなるのだ。

ツイッターを開くのは深夜の2時間DTMの投稿時のみに限定した。他の参加者の投稿を見ないのが失礼なのは分かってはいるが、今だけ勘弁していただきたい。

自分を試す意味も含めて毎日新しいリフを作りインスタグラムにアップするという取り組みを始めてみた。まだ2日目なのでいつまで続けられるのか分からないが、その日の気分で組み立てればいけそうだ。こういうものの投稿先としてインスタグラムが適しているのかどうかは疑問だが。

どうせなら風の強い夜明け前がいい

再びツイッターから逃げてきた。

アルバムのサブスク配信の宣伝のために1日1曲ずつ解説をツイートしてきたのだが、あと6日も堪えられそうになく残りの6曲分をいっぺんに書いてツイッターを閉じた。

コラボした曲の宣伝のために戻ったままサブスク配信のタイミングになりそのまま居続けてしまった。

ツイッターのタイムラインを追っていると惨めな気持ちになるのは何故なのだろうか。すてきな曲を作っている人、演奏技術を磨いている人、創作をする上でいい刺激になっていると思っているものの、どこかで自分の至らなさを痛感していたたまれなくなるのだろうか。そんなものツイッターを覗くまでもなく感じているのだが。

自分の曲への「いいね」や感想がどれだけ創作活動の精神的な後押しになっているか分かっている。だからみんなの曲にも積極的に感想を伝えようと決めたはずなのに、上手く踏み込めない。他の人が既に感想を言っていたりリプが盛り上がっていたりすると自分が何か言うと水を差すだけなのではないかと「いいね」すら引っ込めてしまう。みんな表面的には仲良くしてくれているけど、流れで仕方なくそうしてるいるだけで本当はどうでもいいと思っているのではないだろうか。誰の心にも響かない音楽を鳴らし続けて何になるのだろうか。ずぶずぶと闇の中に沈み込む。叫べない替わりにギターを掻き鳴らすのは音楽に対する姿勢として間違っているのではないかとさらに沈む。

こうして思考の流れを文章化してみると、ただ自分が弱っているだけなのだと気づく。

もっと向いていることが他にあったのかも知れないなと、ギターと創作に明け暮れるほど荒れていく部屋の中を見渡して思う。上手くならないギター、進まない理論の勉強、一向に整わない制作環境。家庭を持つことと引き換えに手に入れたはずのそれとしては余りにも情けない。十字路で悪魔と契約を交わすには魂の重さが足りなかった。

音楽を始める遥か前、まわりから「耳がいい」と言われることが多かった。ひそひそ話していることが聞き取れたりエンジン音でどこのうちの車が通ったか分かったりとかその程度のことだったと思う。今となってはコードのテンションも上手く聴き取れないし、何よりも聞こえるのは誰にも聞こえない耳鳴りだけだ。これだけは一日中ちゃんと聞こえている。

今日、仕事で自分が取り仕切っている部署の業績がよくて表彰された。少しのうれしさも湧いてこなかった。少しもだ。それより自作に「いいね」をひとつもらう方がよっぽどうれしい。だから自分も何か感じた作品には「いいね」を振り撒かないとと思いつつ、もうツイッターを開きたくない。