頑張ってきたけどダメだった。


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 絶望の日々を乗り越えて生き残ったつもりでいた。バカだった。皆やさしいというか気を遣ってくれているのでそれに甘えて忘れていた。この歳で独身だと社会構造の底辺と見てくる人がけっこう居る。思っていても口に出さないだけでふとした瞬間に本音を投げつけてくる。
「独り身なんだから体を壊したって問題ないじゃない」
 そう言われた。そうだよな。そんな風に見られてるんだよな。居なくなっても誰も困らない。何の役にも立てていない。存在してもしていなくても変わらない。
別の人からは「若いうちは好きなことして、落ち着いてから結婚して子育てする人生もある」と言われた。自ら結婚しない選択をした訳ではない。それに好きなことって何だろうか。働き始めてから休みが取れなくて旅行に行ったことすらないのに。
 投げつけられたちょっとした言葉で過去のぐちゃぐちゃした記憶が溢れ出てくる。
 精一杯頑張っているつもりだった。頑張りの量なんて測れないから他の皆がもっともっと頑張っているだけなのかもしれない。自分なりに全身全霊を込めてやってきたのにこのざまだ。
 躓きの始まりはいつだろうか。大好きな憧れのミュージシャンに師事していたのに、生活のために稼がなければならず足が遠のいてしまった。これも言い訳か。やりようはいくらでもあったかもしれない。
 M3等のイベントやSNSで知り合ったミュージシャンは皆ちゃんとやっている。働きながら、子育てをしながら、家族を守りながら、家庭を維持しながら、すてきな音楽を生み出している。独り身である自分はいくらか有利なはずだが、全然上手くこなせてない。ギターを弾く時間と曲を作る時間を増やすため、読書を減らし、ラジオを聴くのをやめ、映画館に行く回数を減らし、ライブに足を運ぶのを控えた。音楽を優先することによって家事がままならなくなり、自炊が疎かになり、部屋の中は荒れるに荒れた。それなのに作品づくりのペースは落ちた。人生を上手く回すことができない。限界が近づいていると感じた。皆がやれているのだから自分もやれるはずだと思い違いをしていた。そもそも日常生活をまともに送れていなかったじゃないか。
 この前の春のM3をもって、即売会イベントに合わせて新譜を発表するのは最後にしようと決めていた。そう告知をしなかったのは、これで最後だと伝えたら寂しさが出てしまうだろうし、暫く経ってから思い返せばあれで最後だったのかと分かる方が自分に合っていると思えた。そういう訳で『Spring Rain Blue』はヌンチャクゴリラのラストアルバムでした。
 何とかアルバムを作り終え、当日は用意していた枚数が終了間際に完売するという、最後に相応しい結果だった。セルフライナーノーツが間に合わなかったことだけが心残りだ。
 M3開催直後、10年以上制作に使ってきたiMacが起動しなくなった。自分に付き合って、ぎりぎりのところで踏ん張ってくれていたのかなと思った。点かなくなった暗い画面を眺めながら、参加表明しているコンピやイベントの主催者にお詫びの連絡を入れないといけないなと思った。
 今後負わなければならない責任のことを考える。親のこと、実家の家のこと、大分先だがその後の自分自身のこと。埋もれそうな量の機材の中で音楽を作っている場合ではない。部屋を荒らしている場合ではない。これからのことをしっかりと見据えていかないといけない。と考えていたが、日常生活すらまともに送れない人間に何ができるというのだろうか。家族の中で自分だけが落ちこぼれだという事実は今後どうやっても引っ繰り返せない。
 生きている限りギターを弾くのも曲を作るのもやめられない。高い壁に囲まれて身動きができない気分だ。
 疲れたので少し寝る。