毎日新しいリフを作れるのか

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SNSとの距離の取り方を模索している。

ツイッター、好きでフォローしてる人ばかりなので目にしたくないようなツイートは流れてこないのだが何故かしんどくなるのだ。

ツイッターを開くのは深夜の2時間DTMの投稿時のみに限定した。他の参加者の投稿を見ないのが失礼なのは分かってはいるが、今だけ勘弁していただきたい。

自分を試す意味も含めて毎日新しいリフを作りインスタグラムにアップするという取り組みを始めてみた。まだ2日目なのでいつまで続けられるのか分からないが、その日の気分で組み立てればいけそうだ。こういうものの投稿先としてインスタグラムが適しているのかどうかは疑問だが。

どうせなら風の強い夜明け前がいい

再びツイッターから逃げてきた。

アルバムのサブスク配信の宣伝のために1日1曲ずつ解説をツイートしてきたのだが、あと6日も堪えられそうになく残りの6曲分をいっぺんに書いてツイッターを閉じた。

コラボした曲の宣伝のために戻ったままサブスク配信のタイミングになりそのまま居続けてしまった。

ツイッターのタイムラインを追っていると惨めな気持ちになるのは何故なのだろうか。すてきな曲を作っている人、演奏技術を磨いている人、創作をする上でいい刺激になっていると思っているものの、どこかで自分の至らなさを痛感していたたまれなくなるのだろうか。そんなものツイッターを覗くまでもなく感じているのだが。

自分の曲への「いいね」や感想がどれだけ創作活動の精神的な後押しになっているか分かっている。だからみんなの曲にも積極的に感想を伝えようと決めたはずなのに、上手く踏み込めない。他の人が既に感想を言っていたりリプが盛り上がっていたりすると自分が何か言うと水を差すだけなのではないかと「いいね」すら引っ込めてしまう。みんな表面的には仲良くしてくれているけど、流れで仕方なくそうしてるいるだけで本当はどうでもいいと思っているのではないだろうか。誰の心にも響かない音楽を鳴らし続けて何になるのだろうか。ずぶずぶと闇の中に沈み込む。叫べない替わりにギターを掻き鳴らすのは音楽に対する姿勢として間違っているのではないかとさらに沈む。

こうして思考の流れを文章化してみると、ただ自分が弱っているだけなのだと気づく。

もっと向いていることが他にあったのかも知れないなと、ギターと創作に明け暮れるほど荒れていく部屋の中を見渡して思う。上手くならないギター、進まない理論の勉強、一向に整わない制作環境。家庭を持つことと引き換えに手に入れたはずのそれとしては余りにも情けない。十字路で悪魔と契約を交わすには魂の重さが足りなかった。

音楽を始める遥か前、まわりから「耳がいい」と言われることが多かった。ひそひそ話していることが聞き取れたりエンジン音でどこのうちの車が通ったか分かったりとかその程度のことだったと思う。今となってはコードのテンションも上手く聴き取れないし、何よりも聞こえるのは誰にも聞こえない耳鳴りだけだ。これだけは一日中ちゃんと聞こえている。

今日、仕事で自分が取り仕切っている部署の業績がよくて表彰された。少しのうれしさも湧いてこなかった。少しもだ。それより自作に「いいね」をひとつもらう方がよっぽどうれしい。だから自分も何か感じた作品には「いいね」を振り撒かないとと思いつつ、もうツイッターを開きたくない。

唄うということ

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メロディのないギター・リフの寄せ集めのような曲ばかり作っている唄わないゴリラ。

自分が音楽をやっていることを知ると「唄ってるの?」と訊いてくる人が殆どだ。大半の人はインストゥルメンタルなんて聴かない。歌を唄っていれば音楽を聴いてもらう取っ掛かりにはなる。

だけど唄わない。

自分で唄えないという以前にメロディが書けない。オクターブの中には12音しかなくてその上がり下がりと時間軸の操作がメロディを構成するのだが、いいメロディとは何かを考え過ぎて訳が分からなくなってしまった。下方倍音列を持ち出していわゆる和声から解き放たれて自由を手にしてももう手遅れだ。

歌詞を書くこともできない。ブログには駄文をいくらでも書くことができるのに、短い文に思ったことをぎゅっと詰め込めない。上手く言葉に変えて消化できない気持ちを音楽という形に落とし込んでいるので言葉で伝えたいことがまずないのだ。

歌はたくさん聴く。今まで何回も聴いてきた曲なのにふとある瞬間に歌詞の内容が深く刺さってやられることもある。

 

永遠よりつづく眠りより深く

命の重さで根を張る

9mm Parabellum Bullet「Scenes」(作詞:菅原卓郎)

 

こういう歌詞が書けないのだったら自分で歌を唄う意味なんてないと思った。

歌詞は歌い手が魂をメロディに乗せるための道具だということをいつも感じていて、だから日本のメロコア・バンドがネイティブでも聞き取れないどうしようもない発音と意味も伝わらない稚拙な英語で唄っているのを見ると悲しくなってくる。どんなに曲がよくても台無しだ。反吐が出そうさ消えてなくなれよ(w-m「自縛」の歌詞です)。

何度目か分からない遠野朝海さんとやった「Shade」の話になる。

実は自分の手違いで遠野さんには一度唄ってもらったあと、歌詞を書き足して追加で唄い足してもらった。

作ったときに書いた譜面があまりにも汚くて書き直したものを遠野さんに送ったのだが、音源も送ってあるし分かるだろうという思い込みで繰り返しの指示を書かずに送ってしまったのだ。最初に遠野さんから歌唱音源が届いたときは一度目のサビまでしかなかった。事情を説明して書き足してもらった二番の歌詞に自分がこの曲を作っているときに漠然と思っていたことがそのまま書かれていて驚いた。その歌詞を引き出したのは自分のメロディなんだということがうれしかったし自信にもなった。

歌詞を書き足すことなく初めから全体を書いていたらどうなっていたのかと思う。同じ結果になっていただろうか。偶然性が手助けをしてくれたのかも知れない。

遠野さんはさらっと書いたと言ってたけど全体に渡ってとてもいい。「愛おしさの塊を見てた」ってすごい。自分では決して辿り着けない歌詞だなと思った。

この曲、歌詞はもちろんだけど、遠野さんの歌唱に依る部分がとても大きい。Aメロの間のアドリブのハミングを聴いたときにもう全身の何かが音を立てて崩れた。

そして今日もこの曲に救われてる。

Asami Tono, Shuichi Kojima - "Shade"

https://linkco.re/U3mefQ1z

 

カクノカクノカクノ

たまには普通のブログっぽいことを。

久々に、十年振りくらいに万年筆のインクを新調した。前々から気になり続けていたパイロットの色彩雫(いろしずく)というシリーズ。どの色もすてきな名前とそれに合った色味で蒐集癖を刺激する危険なインクたち。

使い心地が分からないのにいきなり大壜を買うのは躊躇われるのでギフト用の小さめ3本セットにした。

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左から、霧雨、月夜、夕焼け。

万年筆生活に新しい風を、と思っていたのに今まで使っていた色と同じ様なものを選んでしまった。

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そしてパイロットの入門用万年筆カクノに入れた。

モンブラン、ラミー、ウォーターマン等を経て着地したのがカクノだった。価格がとても手頃で万年筆の楽しみは存分に味わえるカクノ。

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ペン先に顔が描かれていてそれがシリーズごとに違う。左から、普通、透明、限定。かわいい。

限定には壜インクを使うためのコンバーターと手入れのためのスポイトが付属しているので初めての方にはこちらをすすめたい。大分少なくはなったけど店舗によってはまだ在庫があります。

万年筆の魅力のひとつは乾いた後に出る濃淡だと思うので、ペン先はM(中字)がおすすめ。漢字を書くからなのか国産のペン先は海外の物よりも細めです。カクノのM(中字)はドイツ製のF(細字)よりかなり細めでペン先サイズの倒錯が起きているほど。

筆圧が必要なくすらすら書けるので、ボールペンだときれいな字が書けなくても万年筆だと思うように書けたりします。書く行為自体が楽しくて毎日何かしら書かずにはいられなくなるほどです。

カクノ、最初の一本として本当におすすめ。f:id:xiukj:20200610220938j:image

パイロット、「インク」ではなく「インキ」と表記していて何だかそれもいい。

 

革命の次の日

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朝、その日の一曲目はその時の気分で選んでいるが、その曲に一日中気持ちを引っ張られてしまうことがある。その殆どは日記にもツイッターにも残さずに流れていく。仕事が終わったら書こうとか寝る前に書こうとか思ったまま機を逃し消え去っていく。

今日は残してみる。と言っても書こうと思ってから二日経っている。

9mm Parabellum Bullet 「The Revolutionary」

ベスト盤の初回限定特典として発表されたライブ音源ベスト『Selected Bullet Marks』に収録されている2012年9月9日下北沢GARDEN "カオスの百年 vol. 8 夜の部【男性限定ライブ】"のライブ音源だ。こういう音源はサブスクリプションサービスで聴けないのが少し残念だ。

ライブは「いくぞ野郎どもー!!」という菅原卓郎の第一声で幕を開ける。「The Revolutionary」はこのライブの一曲目だった。

オーディエンスが男だけというのもあってか、最後のサビでギターの滝善充が熱くなって「世界を」とメロディを無視して叫ぶとつられるように卓郎も「世界を」と叫ぶ。続いて「おれたちの」と強調して叫ぶ卓郎。一曲目から最高潮。

歌は革命の後にもう一度世界を変えようとする男の話。こう書くとありきたりでこの曲の魅力が何なのか分からなくなる。なのに共感して震えて涙が出てくるのは何故だろうか。その理由が分からないからもう一度聴く。気づくとこの曲を繰り返し再生しながら一時間ほど歩いていた。

気持ちが荒んでいようが奮い立たせ心を着火してくれる、そんな曲だ。こういう曲を聴く度にロックを好きでいてよかったなと思う。

一度切り

小さい頃、実家近くの竹藪に入った時のことだ。夕焼けが始まる少し前だったと思う。落ちて一面を覆っている枯れた笹が白く光っていてとてもきれいだった。射し込んでいる陽の具合なのか地面からの反射もあるのか竹藪全体がきらきらしていてとてもきれいで見上げると光の雨が降っているようだった。少しの間見とれていた。鬼ごっこの途中だったことを思い出し、そこから離れてしまった。

何日か経ってから同じ時間に同じ場所に行ってみた。あの時見とれたきれいな光景はもうそこにはなかった。その後何回も訪れてみたけど結果は同じだった。

今でもあの竹藪のことを時々思い出す。一度しか見れなかったあの光景はいったい何だったのか。

でもまあ、このことに限らず全て一度切りなんだよな。一日として同じ日は来ないし、きれいな朝焼けも心洗われる夕焼けも全く同じものは二度と見れない。一度切りだったからこそ心に深く刻まれているということだってある。

その瞬間を全力で受け止めればいいだけだ。後悔のないように。などと言いつつ、今日も踏み切れなくて反省していることがある。

勝手な仲間意識

ツイッターのTLを見る時間が日に日に減り、ブログの更新頻度がかつてないほどに上がっている。結局何か言いたいだけなのかと思うけど、ツイートとブログで書くことは全く違う方角を向いている。

こんな曲作ったとか、誰かの曲の感想とか、こういう音楽を聴いてるとか、こういう風に考えて創作してるとか、そういうのを見るのは好きだ。

みんながわいわいやっている中に入っていけない。面白い話も提供できない。つまり現実世界の自分と何も変わらない。誰からも必要とされてないギターを弾き誰も聴かない曲を作ってひっそりと生きている。ツイッターで繋がってる人は自分と同じような人が多い気がして勝手に仲間意識を持っていたりするが、他のみんなは自分と違ってもっとしっかりやっているので気後れしてしまう。羨ましいのか妬ましいのか。

こっそり「いいね」するだけじゃなくて、ちゃんと感想を伝えるようになりたい。