ペンケース新調
蔵出しブログその1
2017.3.31
ペンケースを新調しました。
特筆すべき物は入れてないし、見て分かる物ばかりなので特に説明の必要はないと思う。
万年筆を持ち歩くのをやめたのですっきりした。
サラサクリップのレッドブラック、ブルーグレーというドンピシャ自分好みの色味でサラサラ書けるペンが100円で買えるのに、苦労して万年筆を持ち歩く必要性を感じなくなった。万年筆は家でゆっくり書く時に使うだけでいい。
これまで長年使っていたENVELOOPのロールペンケース。
見た目も手触りもよかったが、出先でぱっと広げてさっとしまう、というのに向いてなかった。
巻いた状態でも「とりあえずの1本」をさっと取り出せるエクストラペンポケットの発想はよかった。
こんな時代もあった。
万年筆は書き心地がいいし、色々なインクを使える点が好きだ。
鞄に入れたまま走ったりするとえらいことになるのも持ち歩くのとをやめた理由の一つ。
閉じるとこんな感じ。
収納している量からするとかなりコンパクトにまとまる印象。
SNS時代が弱者にもたらす何か
ちょっとしたことがきっかけになってツイッターとインスタグラムの投稿を止めてから2か月が過ぎた。
誰からも何の反応もないからやってもやらなくても変わらないということは分かった。
俺が放つ言葉も俺が撮った写真もたくさんの他の人たちの大量の言葉や写真に埋もれてネットの海に沈んでいくだけだ。
だからツイッターもインスタグラムも非公開にした。新規投稿をしてないので非公開にしたところで何も変わらないのだが。
本来だったら無視されて流れていってしまう弱者やマイノリティの言葉を残せる最高のツールに思えた。
面と向かった会話が苦手な自分には少し考えて発言できるという点が本当に合っていた。
自分の社交性の程度を理解してもらうために少し昔の話をする。
離島での高校時代、家を出てから帰るまで誰とも会話を交わさないという時期が1年ほどあった。昼休みも居場所がなく学食にも入れず昼食を抜いて誰にも見つからないようにひっそりと身を隠していた。その分自宅では大量に食べていたのだが、幸い育ち盛りだったので親に怪しまれることはなかった。ただ一度だけ親にばれかけたことがあった。ある授業のプロジェクトのグループ分けでどこのグループにも所属することができず、何週間か教室の隅で一人で何もせずに授業時間を潰していたことがあった。スクールカウンセラーを通じて親が呼び出された。設けられた話し合いの場で先生が親に事情を説明した時も言葉に詰まり黙っていることしかできなかった。
コミュ障ではないと思うし、ただの会話下手といったところではないだろうか。
今現在は、上司に話しかけられると言葉に詰まる、休みの日に職場から連絡が入ると心拍数が上がりその日の残りをぼーっと無駄に過ごすことになる、こわくて電話に出られない、電話の相手の声は聞こえるのに言葉として頭に入って来ない、買い物をしていて用があっても店員さんに話しかけることができない、上辺だけの日常会話に何の意味があるのだろうと考え込んでしまいマンションのエレベーターでいっしょになった人に話しかけられても何も返せない等々。
何か言われると、口下手なのも手伝って返答に困りパニックで言葉がうまく出て来ないので、面と向かっての会話が苦手なのだ。
自分の親でさえ何を言ってくるのか分からなくて緊張してしまうので実家に行くのがこわい。
随分話が逸れた気がするが、文字数が限られているものの、投稿するのに落ち着いて考える時間をかけられるツイッターは自分にぴったりのコミュニケーションツールだった。弱者の言葉でも残せるというのは間違ってなかったが、それを掬い上げる存在がない限り、発せられた言葉はただ流されてなかったことになってしまう。
いくら言葉を紡いでも、誰にも届かない。
誰かに届く可能性が少しでも残っている限り、期待を捨て切ることもできない。
生きていくのは難しい。
やまはき玲第一回要望大賞
2017.3.18
やまはき玲リクエストアワード
at ひまわり広場で手をつなごう
気づいたら1か月半以上経ってしまっていた。
やまはき玲、記念すべき第一回要望大賞(リクエストアワード?)。何か記録を残しておきたいので書き殴りたいと思う。
果たしてちゃんと振り返れるのか心配だが、この日のことは心のメモ帳にしっかりと書き留めてあるので多分大丈夫。
とりあえずセットリストを。
リクエストの最終結果がどうだったのか本人も振り返ってないので全世界初公開(※これを書き始めた時点ではそうだったのだが、4月3日にやまはき玲本人がブログで発表してました)。
1. introduction. (ウクレレ弾き語り)
3. 泡のように
4. 海空
5. オルゴール
6. パンケーキ
7. たゆたいながら
8. ニゲラ
9. 灯り
10. 呼吸になる
11. HOME HOME HOME
12. かぞくのうた
13. カーニバル
14. 海のない舟を漕ぐ
15. かけら
ec-1. メッセージ(ウクレレ弾き語り)
ec-2. 明るい小鳥
ウクレレ弾き語り以外は
今村仁美ピアノ
川島佑介パーカッション
という編成。
やまはき玲はウクレレの他にピアニカ吹いたり口笛吹いたりリコーダーで音外したり。今回はしかめっ面でトライアングルを叩き鳴らす曲がなくて少し寂しかった。
それぞれ別の人に向けたけど同じ想いを込めた2曲、唯一自分のために作った曲、自身の雨女っぷりか凄かった時に書いた曲、逢えない人にせめて夢の中だけでも逢えたらという曲、ピアニカがやりたくなさ過ぎて葬り去りたかった曲、似たような曲があって葬った曲、 お姉さんの結婚に向けて書いた曲等々。
ひとつずつ感想を述べるととんでもなく長くなってしまうのでやめておく。
長年のやまはき玲ファンだったらセットリストを眺めるだけで色々な思いが巡って溢れてくることだろう。
曲を通して旅立ってしまった人たちとの繋がりをずっと感じていられるので唄い続けていきたいと語っていたのが印象的だった。
やまはき語録
「うやむやに消そうとしていた曲を引っ張り出された」
「喋ってたら押しちゃうので絶対喋らない」(いつも通り喋ってましたし迷走もしてました)
「ごめんねソールドアウト」(バンド名っぽい)
「あいつらできてやがんぜ」(衣裳が丸被りだった今村仁美と川島佑介を見て)
「もう二度と唄いません」(0票だった『にんじんケーキ』に対して)
「やべぇパーカー着てきちった」
「見ての通り頭おかしいので」
「北千住なんてなくなればいいのに」
「北千住消えろ」
「みんなは結婚してんだかしてないんだか知りませんけど」
リクエスト受け付け期間中のライブに行き損ね続けもらいそびれたリクエスト投票用紙。欲しかったよ。(画像は誰かのツイートから拝借しました)
在庫一掃セールの様相を呈しいつもより賑やかだった物販。山脇姉妹の台北旅行本、CD自体がないのに残っているキーホルダー、余ったイベント特典ステッカーを購入。
リクエストアワードに向け、全56曲を振り返るために開催された連夜のツイキャス祭りも楽しかった。
ペピニエのレコ発ライブの時も感じたけど、やまはき玲は周りから愛されていて
キャリアを振り返るようなリクエストアワード終演後、
「やっぱり私はこの先が見たい。みんなといっしょにこの先が。」
と言っていたやまはき玲。
真面目に語った後に照れ隠しで「へへっ」と笑うやまはき玲の姿を今後も見守っていきたい。
ゴリラの休日
あるいは『仕事がなくて何の予定も入っていない一人で気ままにに過ごす一日』
夜明け前に目が覚める。
時計を見るとまだ5時前だ。
ぐっすり眠れない。
寝床でうだうだしているとあっという間に時間が過ぎていくのでとりあえず起きる。ほら、いつの間にか7時を過ぎている。
「自分がここに存在している意味なんてあるのだろうか。」
毎朝、起きる度にそう考えてしまう。妻も子も飼い犬も居ない。自分が居なくなっても誰も困らない。誰からも必要とされていない。つまりは生きている意味も価値もない。
それでも「悔しいから生きてやるか」と思う。自分の人生に意味も価値もないということは、何をしてもどこへ行ってもかまわないはずなのに、実際は今居る環境と労働に囚われてただ日々をやり過ごすしかない。
生きづらさや虚無感に悩むことなんて大人になったらなくなると思い込んでいた。十代の頃に抱え始めた悩みはきっと死ぬまで続く。
学校帰りにお互い制服のままデート、みたいなことをやっておきたかったな、とふと思う。充実した高校生活を送ってみたかった。青春ってやつ。ちょっとしたやり残したことがチラチラとフラッシュバックする。
ストレッチをしてから朝練。
誰からも必要とされない自分のギターだが、いざという時のために常に研ぎすませておくことを忘れない。おそらくいざという時は来ない。
仕事で傷めている右腕が思うように動いてくれない。左手の小指は高校の時に野球で亜脱臼して以来上手く動かせない。でもそんなのは言い訳で、元々才能がないだけかも知れない。
煙草は吸わない。
コーヒーは飲む。
本を読むのが好きなのに、なぜだか集中できない。一人暮らしで気が散る要因はないはずのに。
散歩がてら近くのカフェまで行くことにする。片道3キロ。読書をしたり日々の記録をノートに綴ったりするのにカフェだと集中できるのはどうしてだろうか。
文庫本、厚めの四六判、ノート、筆記具、メモ帳、水筒、iPod、ちょっとカフェに行くのになんて荷物だろうと思う。手ぶらで歩いている人をよく見かけるけど、きっとスマホひとつで全てを賄える現代人なのだろう。スマホで洟をかんだり汗を拭ったり喉を潤したりできるのだろう。
カフェに着くと平日なのに結構な混雑具合で諦める。カフェミスト飲みたかった。2杯で文庫本1冊分だと考えると飲めなくてよかったよと納得して帰る。
家事が溜まっている。
午前中に全部片付けてから色々やれよ、と思うがいつも後回しにしてしまう。
夜を歩く。
歩くのは考えごとをするのにいい。何かを思いついたりいい方向にまとまったりする。
一晩で15キロほど歩くこともある。
頭の中のもう一人の自分の声がうるさくて仕方がない時がある。「分かっているから放っといてくれ」と声を荒げたくなるようなことを言い続けてくる。叫びたくなる。
叫ぶ替わりに音楽を聴く。
大好きな音楽をそんな風に使いたくないのだが、音楽を聴くともう一人の自分の声は聞こえなくなる。落ち着く。
「私は音楽が身近にあるだけで、少し心穏やかに過ごせる気がします。」
随分前に言われたことが脳内で再生される。
聴いている音楽が違っても、音楽との向き合い方や感じ方に共感を覚えたことを思い出す。
あの子は元気にやっているだろうか。
初めて神様の姿を目にした夜
あなたには神様が居ますか?
信仰する神を持たなくとも、何かあった時、何かをやろうとしている時、無意識に天を仰いで居るのかどうか分からない存在に届くかどうか分からない願いや思いを祈っている瞬間は誰にでもあると思う。でも今回はそんな話でもない。
俺が神様に出会ったのは14歳の時。
六本乃至七本の弦を自在に操り空間を切り裂き時空を歪ませ音を紡いで人々を魅了する、その神の名はスティーヴ・ヴァイ。
「手が小さいからウクレレの方がいいんじゃないか」とか「アコースティック・ギターにしておきなさい」とかいう周りの意見を無視し、エレクトリック・ギターを始めて間もない頃だった。
そう、俺は神様に出会う前に既にギターを始めていた。憧れているギター・プレイヤーが居なかったにも関わらずだ。自分に合っている楽器だという気がどこかでしていた。そしてスティーヴ・ヴァイに出会うことによってそれは確信へと変わった。低音弦のリフで地響きを鳴らし、きらびやかなトーンでメロディを紡ぎ出す、エレクトリック・ギターという楽器の可能性に魅せられた。
来日公演は今まで何度もしあったが、精神的な余裕がなかったり、懐具合からなかなか観に行くことができなかった。
ということで、行ってきました。
Generation Axe -A Night of Guitars-
Zepp Tokyo 2017.4.7
開演前、ステージ上に聳え立つイングヴェイのマーシャルの壁を見ただけでおかしな程にテンション上がる。
オープニングで全員一斉に登場して度肝を抜かれる。
変拍子でスラップっぽい変態プレイのアバシ。
50歳になってもやんちゃな若者っぽいヌーノ。He-Man Woman Haterのイントロ生で聴けた。More Than Wordsの寸止めもあった。相変わらずかっこいい。
どんどん野獣化が進みもはや人類の枠からはみ出しているザック。ペンタトニックゴリ押し健在。ソロ弾きながら何度も
伯爵という階級を振りかざしてトリを飾ったイングヴェイ。
スティーヴ・ヴァイについてはもう何も語れない。主催なのにトリから外れて曲数少なめだったけど、やっぱり神様だった。
ザックはオジーの曲でヤングギターの完コピ大賞に応募したことがある程だし、イングヴェイは大学生の頃必死でコピーしてたし、ヌーノはあの独特のリフの組み立て方を研究したし、振り返ってみれば今回のメンバーからは結構影響を受けてる。
Black Starを弾いてるイングヴェイと神様。
撮影はオッケーだったが、撮ったのはこれ1枚だけ。
整理番号が後の方で遠過ぎた。行き慣れてるパンクバンドの感覚で、盛り上がったところで最前に突き進んで行けると思っていたのが間違いだった。モッシュもダイブもなし。みんな仁王立ちで動かないから間を縫って行ける雰囲気ではなかった。
アバシが
You guys are well behaved. Wow!
って言ってたのは皮肉だったのではないか。
最後は5人勢揃いでのHighway Starで大団円。
あっという間の3時間だった。
スティーヴ・ヴァイの手型と。
神様とは指の長さも本数も違う。敵う訳がない。