SNS時代が弱者にもたらす何か

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ちょっとしたことがきっかけになってツイッターとインスタグラムの投稿を止めてから2か月が過ぎた。

誰からも何の反応もないからやってもやらなくても変わらないということは分かった。

俺が放つ言葉も俺が撮った写真もたくさんの他の人たちの大量の言葉や写真に埋もれてネットの海に沈んでいくだけだ。

だからツイッターもインスタグラムも非公開にした。新規投稿をしてないので非公開にしたところで何も変わらないのだが。

ツイッターは自分にぴったりのSNSだった。

本来だったら無視されて流れていってしまう弱者やマイノリティの言葉を残せる最高のツールに思えた。

面と向かった会話が苦手な自分には少し考えて発言できるという点が本当に合っていた。

自分の社交性の程度を理解してもらうために少し昔の話をする。

離島での高校時代、家を出てから帰るまで誰とも会話を交わさないという時期が1年ほどあった。昼休みも居場所がなく学食にも入れず昼食を抜いて誰にも見つからないようにひっそりと身を隠していた。その分自宅では大量に食べていたのだが、幸い育ち盛りだったので親に怪しまれることはなかった。ただ一度だけ親にばれかけたことがあった。ある授業のプロジェクトのグループ分けでどこのグループにも所属することができず、何週間か教室の隅で一人で何もせずに授業時間を潰していたことがあった。スクールカウンセラーを通じて親が呼び出された。設けられた話し合いの場で先生が親に事情を説明した時も言葉に詰まり黙っていることしかできなかった。

コミュ障ではないと思うし、ただの会話下手といったところではないだろうか。

今現在は、上司に話しかけられると言葉に詰まる、休みの日に職場から連絡が入ると心拍数が上がりその日の残りをぼーっと無駄に過ごすことになる、こわくて電話に出られない、電話の相手の声は聞こえるのに言葉として頭に入って来ない、買い物をしていて用があっても店員さんに話しかけることができない、上辺だけの日常会話に何の意味があるのだろうと考え込んでしまいマンションのエレベーターでいっしょになった人に話しかけられても何も返せない等々。

何か言われると、口下手なのも手伝って返答に困りパニックで言葉がうまく出て来ないので、面と向かっての会話が苦手なのだ。

自分の親でさえ何を言ってくるのか分からなくて緊張してしまうので実家に行くのがこわい。

随分話が逸れた気がするが、文字数が限られているものの、投稿するのに落ち着いて考える時間をかけられるツイッターは自分にぴったりのコミュニケーションツールだった。弱者の言葉でも残せるというのは間違ってなかったが、それを掬い上げる存在がない限り、発せられた言葉はただ流されてなかったことになってしまう。

いくら言葉を紡いでも、誰にも届かない。

誰かに届く可能性が少しでも残っている限り、期待を捨て切ることもできない。

生きていくのは難しい。