本当は小柄な子の方が好みだ。

 親というのは子が実家に居た頃の、それも学生時代の感覚をずっと引きずり続けるものだということをつくづく感じる。実家に食べに行くといまだにごはんが大きめの茶碗に山盛りで出てくるし、カレーとなると寸胴一杯作ってあったりする。あなたの息子は成長止まってるしもうそんなに食べませんよ。
 女の子の好みに関しても同様で、母は何かとあなたは背の高い子が好みよねといまだに言ってくる。その度にどうしようもない気持ちになる。高校生の頃片想いをしていた子は確かに背が高かった。姉が共通の知り合いだったこともあり相談していたら両親に情報が筒抜けだった。学生時代に付き合っていて親に紹介した子もまた背が高かった。このたった二つの例からうちの両親はいまだに「うちの息子は背の高い子を好む」という謝った認識を持ち続けている。その都度訂正を試みてはいるのだが考えを改める気配はない。一度定着した認識を変えるのはとても難しい。実際は好きになるのに身長なんて関係ない。そして恋に関する相談を姉にしてはいけないし、両親に付き合っている人を紹介するのも賢明な判断ではない。

 今回は好きな子の話ではなくギターの話。

 3年前、初めてアコギを買った。実家に居た頃は父のヤマハのフォークギターがあったしここ10年ほどは義兄から借りていたタカミネがあったので自分のアコギを持っていなかった。ちゃんと好みに合ったアコギを買おうと何年も考えていて、どうやらこれでよさそうというのを見つけて買いに行った。

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 離島に居た頃を思い出すコア材のボディ、木製バインディング、ポジションマークのないすっきりとした指板、肘が当たるところの独特なデザイン。弾いてみてもしっくりきたので連れて帰った。
 一目惚れして告白したものの、いざ付き合ってみると何だか違うと感じることが出てくるというのはよくある話(ギターの話です)。グランドオーディトリアムというやや大きめのサイズなのだが、そもそもピックで掻き鳴らして大きな音を出すという弾き方をほぼしないのでこんなに大きくなくてよかった。
 出展も一般参加もしない秋のM3のためのアルバム制作をしているところなのだが、このアコギではダメかもしれないと思った。自分のアコギ演奏はよく言えば繊細、悪く言えばはっきりとした強い音が出せない弱々つま弾きスタイルなので、しっかり弦をはじかないと持ち味が出ないこのギターに手こずっていた。マイク録りしかしないのにエレアコだという点も鬱陶しくなってきた。ライブをする時に便利だろうと思ってエレアコにしたのだが、そもそもライブしないしギター伴奏を頼まれることもない。
 どうやらパーラーサイズのギターが用途にぴったり合いそうで、楽器屋で見かけたカナダ製のものに一目惚れした。自分の弱いつま弾きでもしっかり鳴ってくれる。強くはじけばそれに応えてくれる。力を入れなくても強い音が鳴る。はっきりとした音が出せないのは右手が深爪気味なせいではなかった。しかしそのギターはエレアコだった。やはり電装のない純粋なアコースティックギターが欲しい。帰ってから調べてみると同じギターでエレアコではない仕様のものもあった。アウトレット価格のものを某楽器通販サイトで見つけそれを注文した。

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 ベッドに連れ込むのにちょうどいい小柄な子(ギターの話です)。あまりにも弾き心地がよくて仰向けで弾きながら寝てしまった。f:id:xiukj:20200805185503j:image
 ボディは小振りながらもスケールは1cmしか変わらなないのでほぼ同じ感覚で演奏できる。カッタウェイのない潔さ。ピカピカしていないラッカー塗装。今までと趣きが違う子と付き合い始めるとそわそわする(ギターの話です)。

トカゲ、いちごのなる木、王様。

 世間は4連休らしい。連休がない自分は惨めな気持ちになってしまうのでツイッターのTLは見ない。感染症禍真っ只中だから皆通常営業なのかも知れないけど。

 ギターを買った。給付金の四分の一を使って。

 生活圏でハードオフを全く見かけないのでツイッターギター界隈の皆様がいつも羨ましいのだが、近所のリサイクルショップに楽器コーナーがあることを最近知り、たまに様子を見に行っている。何本もあったフェンダーのギターと古い日本製エフェクターたちが一掃されていて、定期巡回している層が居るのだなと感じた。ピックアップの保護フィルムが付いたままの新品同様レスポール、改造されたレスポール、SG、今はエピフォン専門店みたいな様相になっている。エフェクターはメタルゾーンが2台のみ。
 この前来たときにはなかったエピフォンのワイルドキャットというギターに目が止まった。ホロウ構造、P-90、ビグスビー、求めていた要素が詰まっていた。しかしビグスビーの弦の張り方が間違っていて試奏できる状態ではなかった。その場では買わず、熟考するためにいったん帰った。何故か気になる自分に一番似合わないであろう白いギター。

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 帰ってから調べた。今は販売終了している限定モデル。Fホールから反対側のFホールの光が見えたのでフルアコだと思ったのだがリアピックアップとブリッジ部分の下にブロックが入っているセミホロウ構造だった。色違いもあり、本来なら好みな筈の赤も黒もしっくり来ない見た目だった。パールホワイトにゴールドパーツという自分の好みから一番遠い見た目なのに気になって仕方がなかった。これは恋に似ている。

 翌日の夜、仕事が終わってから回収に行った(ツイッターギター界隈の人たち、ハードオフ等で安い機材を買うときにいつも「回収」という表現をしていてそれを言ってみたかった)。ケースが紛失していて、その分安くしてもらった。
 雨の中、剝き身のギターを抱えて歩いて帰った。

 明らかに演奏中に付いたのではない指板上の傷、殆ど減ってないフレット、なのにめちゃくちゃ剥げているフロントピックアップとアームのメッキ。前の持ち主はずっと弾いてる振りだけしていたのだろうか。
 フレットを磨き指板を掃除し弦を張り替え音を出す。

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 ギブソンの355よりビグスビーまわりの音のざらつきが大きい。ビグスビーのざらつき、ギターではないけど恩田快人が弦高を下げて敢えてビビるようにしてあの音を出しているという話をしていたあれに近い。出音は太め。ゴツゴツ、ガツンとしていていい。ボリュームを絞ったときの音が少しもこもこするのでマスター・ボリュームにキャパシターを付けた。

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 これ、新品でゴールドパーツがピカピカだったらきっと買ってないだろうな。いい具合にくすんでいる。パールホワイトも少し黄ばんできている。こういう経年変化を最初から味わえるのが中古のいいところだ。


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 「キング」と名付けた。うちに来た日に名前が決まるのは初めてだ。このギターでロックするよ。

 

Epiphone - Wildkat Royale Pearl White

深夜の2時間DTMと毎日リフ作りのこと

 深夜の2時間DTMにはもう参加しないかも知れない。

 遠野朝海さんがブログに2時間DTMのことを書いていた。ちゃんと自分で課題を設定して取り組んでいて頭が下がるばかりだ。遠野さんにはピアノと歌という強みがある上にそのまわりのこともちゃんとしていて個性も持ち合わせていて、敵わないなという思いが強い。
 リアルタイムで参加すると翌日の仕事に差し支える。しかしタイムフリーの遅刻参加だと同じ時間を共有して取り組んでいるという一体感がないのでやる気が出ない。難しいところだ。出されるお題には自分ひとりでは開けることのない引き出しをこじ開けてもらう感じで面白いのだが。

 自分はDTMには向いていない。DAWに必要な音源を買い足せば学生の頃ずっとやりたいと思っていたことが可能な世の中になっていたが、PCまわりの技術革新が進んでいる間に自分のやりたいことが変容していた。作曲家よりは演奏家、結局ロック・ギタリストとしてありたいという思いが強くなっていた。
 苦手なことを遠ざけ得意なことに逃げているのか、持ち味を伸ばしているのか、よく分からない。
 DAWは高機能MTRとしてしか使っていないので10年以上前のマックブックで事足りる。

 2時間DTMの代わりという訳ではないが、毎日リフを作る取り組みをしている。別にギターでと決めている訳ではないが今のところまだピアノは使っていない。
 その日感じたことを音に変える。押しつけられたお題より自然に楽器と向き合える。それがやり場のない気持ちの浄化作用にもなっている。
 日々呼吸をするように自然体でさらっとリフが作れるようになりたい。

旅に出られない

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 働き始めてから旅に出たことがない。連休が取れない。正月も夏も、まとまった休みがある訳ではない。土日祝日はほぼ働いてるので数少ない友人たちと予定が合わせにくい。ここのところ2連休すらない。法事で父の実家に2泊したのが一番長く取った休みだ。

 ここでこんなことを吐露しても意味はない。だったら転職すれば済む話だと言われそうだ。職を変えれば生き方も変わる。

 日帰りだったら旅に出られるが、それにも限度がある。去年ピアノを聴くためだけに行った浜松が一番の遠出だろうか。鈍行で行ったのが間違いだったのかもしれないが。

 問題は旅に出られないことそのものではない。旅行に行かないということで上から目線でものを言ってくる人が正直鬱陶しい。職業柄年に2回の超長期休暇があり、その都度海外旅行に出ている人と話した時もパスポートを持っていないことを口にしただけで呆れられた。旅に出て日常から離れてみないと視野が狭くなるというようなことも結構言われる。旅に出る人は口を揃えたかのように同じようなことを言う。日々の息苦しさが旅に出たことによって解消される訳ではないし、息抜きにはなっても変わらない日々が待っているのだから日常の中で活路を見出した方がいいと思ってしまう。こういう考え方こそが視野狭窄なのだろうか。旅に出ないと視野が広がらないという考え方自体も十分に視野が狭い。想像力の敗北。

 ボラ・ボラ島の夕焼けの話を思い出す。観光客の誰もが感動する美しい夕焼けだが、地元で毎日それを見て育った人は何も感じていないという。

 要は日々をどう捉えどう感じて生きていくかだと思う。

 自分は土日が休みだったとしても友人とは会わないかもしれない。長期休暇が取れたとしても旅には出ないかもしれない。だいたい旅行中、ギターはどうするのだ?弾いてないと鈍りそうだ。

 ギターのことも音楽のことも忘れて、好きな詩集と小説だけ持って旅に出てしまいたいと思いながら、旅には出ずに日常をやり過ごしている。

毎日リフ作りのこと

 毎日リフを作っている動画投稿、今日で20日目。順調に続いている。1週間ごとに振り返ろうと思っていたがそれはやめた。
 昨日、ちょっとした事故が起きた。何となく作って投稿したアルペジオ、遠野朝海さんが深夜の2時間DTMの「アコースティック・ギターアルペジオ奏法」というお題でやった曲だった。発表当時遠野さんの投稿に合わせて自分だったらどう弾くかなと何回かさらったのは覚えている。ひと月半経ってすっかりそのことを忘れていたがどこかに響きが残っていたのだろう。コード進行はなぞっているもののアルペジオ自体は自分で練ったものなのでまあいい。与えられた曲にフレーズを考えて当てるのも立派なリフ作りだ。そして今日は開き直ってさらにその続きっぽいのをやった。
 毎日リフ作り、2時間DTMと違い自分のペースでできるのがいい。翌日の仕事に差し障ることもない。しかし全くと言っていいほど反応がない。余りにも寂しいので途中からインスタグラムの投稿をツイッターに転載するようにした。それでも殆ど反応はない。自分の演奏力の向上と癖の把握とそこから引き出しを増やすためにやっているので周りの反応は関係ないといえば関係ないのだが、投稿している以上気にはなる。結局消えない承認欲求。
 ベーシストの横山渉さんからいいねをもらったりするのがうれしい。

多様性として許容されるのか

 自分が好きな映像作品について書いていたら横道に逸れて本筋に戻れそうになくなったので、そのことをここに独立した記事として書いておく。

 「お前らは無駄飯食ってるガキなんだから」

 小学校の先生に言われた言葉が今も響く。何かやらかしての説教だったはずだが、何をやらかしたのかは全く覚えていない。なのに言われたことははっきりと覚えている。
 その頃は考えてもみなかったが、この先何も残すことなく生きていく自分は今も無駄飯食らいなのではないかと考えてしまう。社会の構成要素ではあるはずだが欠けても誰も困らない。誰かの役に立っているという実感がない。
 ヒトは多様性を獲得することで種として存続してきた。極端な譬えだが、同じ食べ物の食中毒で集団が全滅というような事態を回避するために、個体ごとに嗜好が違い好き嫌いがある。全体で見れば不必要な個人は居ないという考え方だ。余裕というか遊びというか、そういう幅が齎す効用。役に立っているのか立っていないのか、集団にとって必要な要素なのかそうでないのかは、神の視点をもたない個人では判断できないのかもしれない。
 こんなことがぐるぐると頭の中を巡るのは疲れているからだろうか。
 ギターを弾くという行為も、楽器屋の売り上げには繫がっているし経済を回しているという観点では役に立っている。まあギターは誰も聴いてなくても世界の役に立っていなくても弾き続けるのだが。
 逸れた横道からさらに逸れて、結局書こうと考えていたことと違うことを書いていた。
 フリック入力と違いキーボードを打鍵していると自動手記みたいになってしまう。
 それにしてもポメラ、お前が大学生の頃に居たら課題や論文がとても楽にこなせたのにな。

音楽仲間が欲しかった。

 ツイッターには戻れそうにない。ここのところ毎日リフ作り動画の転載ツイートしかしてない。
 学校に行かなくなるあれといっしょだ。最初は1日ぐらい休んでも大丈夫かなという気持ちで始まって、まああと2日休めば週末だしと追加で休み、何となく戻りづらくなってそのままずるずると休んでいたら夏休みに入ってしまい、休み明けにしれっと戻れば気づかれないかなと考えつつ二の足を踏んでいたらいつの間にか冬休みに入っていたというあれだ。
 そうならないようにたまにTLを覗く。誰かが作った曲のよさに打ちのめされて感想も伝えずにそっと閉じてしまう。ここは自分の居場所ではないという思いがまた強まる。うまく馴染める気がしない。

「ライブハウスにしか居場所がないお前ら」

 あるバンドのボーカルがいつも言っていた。「学校や会社でお前らがどんなに厭な奴か知らないけど、今ここに居るお前らが本当のお前らだからな」と。それ、逃げてるだけなんじゃないのといつも思っていた。ライブを観ている時間がいくら楽しくても戻るべき日常は何も変わらずそこにある。全く共感できずに覚めていく。会場は盛り上がる。

 自分はというと、学校にもライブハウスにも居場所がなかった。自室以外に居場所がなかった。周りに音楽に興味のある人間が居なかった。

 大学の軽音サークルに入りかけたことがあった。
 初めて部室を訪れたとき、そこにあったストラトとマーシャルでイキッてイングヴェイを弾いた。同じ新入生に「君がギターやるなら俺ベースに転向するからいっしょにバンドを組まないか」と誘われたが、自分よりレベルが低い人たちとやってもなと躊躇してその軽音サークルには入らなかった。大学で空き時間にギターを弾く環境があったらもっと上手くなっていただろうに。得られる経験が周りの演奏レベルに左右される訳でもないと今なら思う。

 バンドで出ていたラジオ局のイベントで知り合った、相棒と言って差し支えない鍵盤弾きといっしょにやっていた時期もあった。シンセが並んでいる彼の部屋で曲を持ち寄りセッションしたり、泊まり込みで曲を作ったり、楽しかった。俺が活動の仕方で行き詰まっていたときに声を掛けてもらい彼のバンドといっしょにスタジオに入ったこともあった。あのままずっといっしょにやっていたらどうなっていたのかなと思ったりする。彼といっしょに作った音源が1曲だけ手元に残っている。
 俺よりギターが上手い後輩からも「自分がベースをやるからあなたとバンドがやりたい」と言われたことがあった。結局彼とは一度じっくり話をしただけだ。

 振り返ってみると居場所も仲間も得られる機会があったのに、自分で棒に振っていたのだな。少しでも妥協するくらいなら独りでやろうという姿勢が間違っていたのかも知れない。