存在感、居場所、現在位置


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SNSから離脱することにした。またすぐに戻るのかもしれないけど。

みんなの新曲やコラボを聴くのは楽しいし、嫁や旦那の惚気話は幸せのお裾分けのようでこっちまでうれしくなるし、イヌやネコの自慢も微笑ましい。

だけど急に自分の居場所ではないような気がして、一旦そう思ってしまうと居心地の悪さまで感じるようになってしまった。

 

小学生の時の図工の授業で、クラス全員で似顔絵を描き合うということがあった。仲のいい人同士でお互いを描き合い、完成したら教室の後ろの壁に貼るという。

中には3人のグループもあって自分もそうだった。MくんとKくん、普段からいっしょに遊んでいたので仲のいい3人だと思い込んでいた。しかしKくんが自分の似顔絵を描きたくないと言い出し、そのことが招く結果を理解してないMくんがKくんの似顔絵を描き始めたので、結局KくんとMくんがお互いを描き合うだけという事態になってしまった。ひとり弾き出されたことが問題になるのが厭で自分は仕方なくMくんの似顔絵を描いた。絵の具での彩色もあったので何回かに分けて行われたのだが、その時間が苦痛で堪らなかった。

苦痛はもっと続いた。

教室の壁に貼られた自分を除くクラス全員分の似顔絵はその学年が終わるまで貼られたままだった。登校してそれを目にする度に、自分はこのクラスには存在していないのではないかという思いに囚われた。自分の似顔絵がないこともMくんの似顔絵が2枚あることも担任は気づいていた筈だが、何の対処もしなかった。授業参観の時は母親がその事実に気づきませんようにと祈った。

それからというものことあるごとに、そもそもこの世界に自分は存在していないのではないかと感じるようになってしまった。

今もそれは続いている。

 

 

それぞれの空模様、M3-2020春のこと3

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"A Sky Full of Hope"

 

アルバムタイトルに「空」という言葉が入っているのになぜジャケットに空の写真を使わなかったのか、その理由を書き残しておく。そもそもタイトル通りのジャケットにしなければいけない決まりなんてないのだけれど。

 

「いい天気」と言われて思い浮かべる空はひとりひとり違うと思う。雲ひとつない青空が好きな人も居れば晴れが苦手な人も居る。恵みの雨を待っている人も居る。

低気圧による頭痛が雨によって緩和されるという人にとっては雨は救いになる。

何というか、空模様を規定したくなかった。自分の中ではそれぞれの曲に明確な空のイメージがあったのだがそれを聴く人に押し付けることはしたくなかった。

このアルバムを聴いて「雪の日にすごく合う」という感想をくださった方が居てとてもうれしかった。そうやってひとりひとりの心模様に寄り添うような音楽を紡いでいければいいなと思う。

 

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ジャケットに使った元写真を見ると晴れてるのが分かってしまうのだけれど。

 

 

叔父とギター、M3-2020春のこと2

去年、法事で帰省したついでにもう誰も住んでいない祖父母宅の片付けを手伝いに行った。

店舗を兼ねていて、シャッター付きのガレージの奥からも中に入れるという変わった構造の家だった。ほぼ納戸と化していたそのガレージにあったコンバースの箱、中にはローマ字で書かれた叔父のファーストネームと共にデモテープ#0〜8と記された9本のカセットテープが折り畳まれた紙束といっしょに詰められていた。

紙束は各テープに収録されている曲の詳細が書かれたルーズリーフだった。デモテープ#0以外は4トラックのMTRで録られたものだということが分かった。曲名の横に3桁の番号、日付、各トラックに何が入ってるのかのメモ。メロディ、クリーン、アルペジオ、ソロ、バッキング等と書いてあるが全てギターのようだった。88〜89年、叔父が高校生の頃に作り録り溜めていた曲たち、その存在を今まで知らなかった。叔父がギターを弾いていたという事実すら知らなかった。帰省の際にギターを持って行ってたこともあるのにそれを見ても叔父は興味なさそうにしていたし、ギターの話なんて全くしたことがなかった。

叔父が不在なのをいいことにコンバースの箱ごと自分が持ち帰った。

ハードオフでタスカムのMTRを買い、叔父のテープを聴いた。曲名の横に記されていた番号はカウンターの数字だということが分かったのだが、メーカーによって差があるのか先に行くにつれてだいぶずれが出た。

叔父はかなりロックな人だったんだなということが分かってうれしかった。アメリカンロックのような明るいギターリフにメロディを重ねたスタイルが大半だった。バンドでやる歌もののデモみたいなものだったのかもしれない。音的にはオーバードライブをそのままMTRに突っ込んだような歪みが主で、所々にアナログ・ディレイが使われていた。きっとそれしかエフェクターがなかったのだろう。

粗削りで拙い面も目立ってはいたが、叔父が作った疾走感溢れる曲たちにどんどん惹き込まれていった。次第にこれを他の人にも聴いてもらいたいと思うようになった。しかし叔父が残したテープは経年劣化で音質も悪くよれが酷い箇所もあり、とてもじゃないがこのままでは出せない。

ということで自分でカバーすることにした。当時の叔父と同じくカセットテープMTRによる録音で。

 

以上が今回のM3で作品を発表するに至った経緯だ。

ただ、自分にそんな叔父は居ない。ガレージでコンバースの箱に詰められたカセットテープを見つけてもいない。これはカセットテープ録音に拘る理由が欲しくてでっち上げた物語だ。だからこの話にはオチもない。

カセットテープ、M3-2020春のこと1

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今回のM3はアルバムのコンセプトを決める前からカセットテープによるリリースと決めていた。

CDで出すというのは今の時代にそぐわないのは前から感じていた。今回まわりの知人に確認してみたところ、車でしかCD聴かない(聴けない?)とかPCでしか聴けないとかリッピングした後はCDで聴かずに携帯音楽プレーヤーでしか聴かないとかそもそもCD再生環境がないとかスマホでサブスクがメインとか、まあ時代の流れだろう。

前回のM3-2019秋では小物にダウンロードコード付きという頒布形態が目立った。自分が認識不足だっただけで以前からそうだったのかも知れない。

自分が入手した中からいくつか紹介する。

 

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THOMASSON『テナント募集』

小瓶に歌詞カード、縮刷写真等が入っていた。

かわいい形でずっとそのまま机の上に飾ってある。


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妖精さんコンピこと『幻想妖精図鑑』(主催:しむさん)

丸められた羊皮紙を模した紙に封蝋を施すという、内容にとても合ったものだった。


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『幻想種コンピ』(主催:ilodollyさん)

封蝋された封筒というシンプルながら存在感を放っていた。封筒の色は何種類もあって悩んだ挙げ句黒にした。


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『スカボローフェアアレンジコンピ』(主催:石原けいこさん)

写真では分かりにくいが金箔を鏤めた特殊印刷カード。このカードだけでも飾っておきたいくらい雰囲気が好み。DLコード付きのカードという頒布形態が今の主流かも知れない。

 

自分は直径12cmの円盤(サインを入れてもらうのに丁度いい大きさ)に愛着があり過ぎて、拘って紙を折ったジャケットをここ何作か続けてきたこともあって、さてどうしたものか。

所有欲を満たすすてきな小物を持ち帰って音楽が聴けるなんてまるで魔法じゃないかと感動したけど、自分にそんな物が作れるのかと。

DLコードを付けるにしても実際に音が出る小物がいいなとまず思った。オルゴールとかオルゴールとかオルゴールとか、ってオルゴールしか浮かばなかった。難しい。

次に浮かんだのは楽譜だった。収録曲を全て譜面に起こしてDLコードを付ける、もう誰かやっていそうだけどなかなかいいアイデアだと思った。

楽譜を付けるならDLコードなしにしてカセットテープ+楽譜でいいんじゃないかと思い、最終的にカセットテープ+DLコードに落ち着いた。再生する度に劣化する音質の果敢無さがいいし、DLコードがなくても古より伝わる機械さえ入手できれば音楽が再生できるという点もロマンがあってすてきだと思った。

 

アレンジ祭、M3、音楽活動のこと

M3の制作作業でかなり切羽詰まってるけど、書いておく。

 

DTMが苦手、というよりちゃんとした音源を揃えてなく、思った通りに仕上がらないからやる気が出ない、というのが現状だ。まず音源を揃えればいいのだろうけど、その予算はギターまわりの機材にいつの間にか消えてしまう。消耗品であるピックや弦にもけっこう掛かるのだ。

何も機材がなかった頃、五線紙の上にはあらゆる可能性があって、楽音の連なりで表現できないものはないと思っていた。弦楽四重奏木管五重奏なども作っていた。それらは誰かによって演奏されることもDTMで再現することもなく放置されたままだ。

その頃一番作ったのはピアノ曲で、それは実家にアップライト・ピアノがあったからだと思う。頭の中で鳴っている音を譜面上で組み上げても、やはり肉体となる楽器がないと命が与えられない感覚があった。

不協和音と思えるものでも、音源で鳴らすと濁って気持ち悪かったりするのに、実際の楽器で鳴らすときれいな響きとして感じることもある。頭の中の音楽を再現するのにも実際に空気を振動させる楽器の存在が大きい。

実家を離れアップライト・ピアノから離れるとピアノ曲を作る想像力もどこかへ行ってしまった。

演奏される前提で曲を作っていても魅力的でなければ誰も弾きたがらない。結果一人で完結するソロ・ギターの曲を作っていた時期もあるのだが、自分の演奏レベルを超える楽曲を作れないという抜け出せない穴に落ちた。

そしてそのまま現在に至る。

深夜の2時間DTMに参加し始め50回以上やってみたが、ギターの演奏中心でこれのどこがDTMなのだという考えが頭をもたげ、参加するのに躊躇いが出て足が遠のいてしまった。

冬休みアレンジ祭 in 2019という企画にも参加してみた。所謂DTMができないのでまわってきた曲はギターのみ16本重ねたギター・オーケストレーションでアレンジした。至らない点があっても貶したりしない、少しでもいい点があったら全力でコメントする、というとても居心地のいい場だなと思った。

来月のM3で出す新譜はギター・カルテットで制作中だ。できることをとことんやってここまで独自路線を進んで来ているが、それは苦手なことから逃げ続けているだけなのではないのかという思いが常に頭のどこかにある。DTMを駆使して生演奏さながらの表現をしている方をTLで見かけることも多くなってきてただただ感心するばかりだ。

アレンジ祭で改めて思ったけど、ギターを弾ける人は山ほど居る。そりゃ自分ごときにギターの演奏を頼んでくる人なんて居ないよな、と自分の技量を棚に上げて落ち込んでいる。

できないことが多過ぎる。

選んで来た道は正しかったのだろうか。

 

時効

なのかどうか分からないが、あれから何も変わってない日々のことを書き残しておく。

 

ずっと自死するつもりでいた。

 

大学を出ると同時に意図的に社会からドロップアウトした。いわゆる就職活動をしなかったのだ。というかこわくてできなかった。自分の価値を企業側からしか決められないのも満員電車に乗るのも人に会うのも。大学の後半からゼミ以外はまじめに行かなくなったし、なんとか卒業だけはできたという状況だった。

就職活動をしない理由として「音楽をやる」ということを親を含め周りに掲げていた。そこに嘘はない。作りかけの曲を山ほど抱えていてそれを全部書き終えたら死のうと思っていた。音楽で食べていく才能がないことは自覚していた。

あんなに使命感に駆られて曲を書くことはもう二度とないだろう。頭の中にある自分の曲を形にするための機材もなく、ただひたすら五線紙上に自分の世界を広げていった。

それと同時に死ぬ場所の下見もしていた。屋内で首を吊ると事故物件扱いになってしまい親に迷惑が掛かるので飛び降りしか選択肢がなかった、それでも周りに迷惑は掛かるのだが。駅の近くに林立するビルの屋上は容易に侵入可能だということが分かった。あの頃ビルの屋上や高架から乗り出したり大きな橋の柵によじ登って地面を見下ろしたときの気持ち、今も変わらず思い出す。

結局書きかけの曲を完成させても死ぬことはできなかった。遺書は書かなかった。高いところから身を乗り出す度に自死に失敗した後の厄介さが頭を過った。生きていたくないだけで死ぬ勇気もなかった。銃等確実に死ねる方法があったら結果は違ったかもしれない。

 

あの頃の自分に声が掛けられたとしても、何も言ってあげられない人生だった。社会人として働くことで音楽制作をするための環境は整えられたけど、結婚もできないし子を授かることもなく生きている意味も感じないし未来に展望の一欠片もない。

だけどね、かわいい姪っ子には出会えた。そのことは姉夫婦にいくら感謝してもし切れない。

重い病気の末期になってスイスで安楽死するまで、とりあえず生きてるよ。

 

現行スクワイアを買っていじってみた

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中古で現行品のスクワイアのストラトを買い、納得のいくまでいじってみた。

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Squier by Fender - Affinity Strat

中古で7000円、義兄には夢を持たせるために5000円で買ったと言ってしまった。ボディに何箇所か塗装剥がれがあるもののきれいな状態。

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ラージヘッド教の信者です。正式名称は「ストラトキャスター」ではなく「ストラット」。フェンダー系列なのにも関わらず最安ラインなのでフルネームを名乗らせてもらえてない悲しさ。

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先ず指板とフレットをピカピカに。

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開けてびっくり、雑に広いザグリ。生産性上げるための各モデル共通仕様なのだろうから致し方ないが、この真裏もトレモロ用の空洞なので逆セミアコのような構造。HSH対応かと思いきやネック側はハムバッカーの足用の窪みがないので要追加加工。

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ピックアップをフェンダー・メキシコ製Tex-Mexに換装、直列、逆位相もいけるダン・アームストロング式配線に変更。この回路、元々付いているパーツの配線を変えるだけで実装できるのでおすすめ。簡単に言うと、トーンをマスター1つにまとめて余ったポットを直列ブレンダーにしつつ5点セレクターに工夫をして逆位相も出せるようにするもの。

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追加で、N+B、N+M+Bが出せるようにネック・ピックアップ・スイッチを付けたが、キャビティの深さが足りずスイッチ・ポットが収まらないことに気づき断念。

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右が元々付いていたセレクター・スイッチだが、すぐに調子が悪くなったので左のしっかりした物に交換。スイッチ部のザグリもギリギリで、左のタイプだと導電塗膜部に触れて音が出なくなってしまうので絶縁テープを貼る等の対策が必要。

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白ピックガードのままだとジミヘン感が強くて畏れ多いので黒ピックガードにしたものの、今度はギルモア感が出てきてしまった。

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クワイアのトレモロは使えないので交換した方がいい、というレビューをよく見かけるが、ちゃんとした調整を施せば全く問題なく使える。元々付いていたスプリングが強過ぎるという問題はあった。ハンガー・スクリューを限界まで緩めてもベタ付きのままだった。張力緩めのスプリングに交換。

シンクロナイズド・トレモロは1弦がフルアップ時にちょうど半音上がる程度にフローティングさせておくとチューニングが安定する。激しいアーミングをしてもチューニングはほぼずれない。使えないと言っている人は調整技術不足だと思う。

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この状態で満足して暫く使っていたのだが、ふと10年程前にジャンクで買った詳細不明のギブソン製ピックアップのことを思い出した。そう言えばエドワード・ヴァン・ヘイレンも例のフランケンストラトギブソン製ピックアップを載せていた。80ドルのネック、50ドルのボディにES-335から外したハムバッカーを載せたあのギターの真似をしたくなった。

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Gibson USAと刻印があるが詳細は不明。SGのブリッジから取った物らしいということだった。

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ピックガードを買い直し、カバー付きハムバッカーが入るように穴を削って拡張。

ハムバッカーに変わったので直列ブレンダー回路からブリッジ配線を外す。

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ストラトにハムバッカーを乗せるのは美学に反するから避けてきたのだが、実際使ってみるとめちゃくちゃ便利。力強くザクザク刻めるし、ハーフトーンストラトらしい音も出る。オールラウンド過ぎてずるい気すらする。

「しょぼい機材でメタルをやる」と言い出した人について行くつもりで手にしたこのストラトだが、しょぼいどころか気に入ってしまい最近はずっとこれを弾いてる。