少しずつ積み重ねていく

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 毎日リフを作るようになってから一年が経とうとしている。

 ギターも音楽も長年続けているだけで自分の才能のなさに気がつかなかった。
 深夜の2時間DTMにしても夏休み/冬休みアレンジ祭にしても、才能溢れる人が本当にたくさん居て自分なんかが参加していていいのだろうかといつも感じている。TLを覗けばとんでもない演奏技術を持ち合わせた人ばかり。一方自分はDTM技術の習得が遅々として進まないままギターを弾き続けているだけだ。ギター演奏が自分の一番の強みなのに、そのギターですらDTMをちゃんとやっている人に及ばなかったりする。SNSで繫がった音楽家の皆さんはやさしい人ばかりで一方的に仲間意識を抱いてしまい、自分も才能溢れる人達の一員なのではないかと錯覚してしまう。
 演奏と作曲を続けているのは他でもない自分のためなのだが、なんとかみんなと肩を並べられるようにはなりたい。

 ギターの腕前は一向に上がらない。ただ弾き続けているだけでは今までと変わらないと思い、毎日新しいリフを作ることにした。
 手を動かし続けることで得られる何か、自分にはそれしかない。ほんの少しずつでも積み重ねっていくものがあると信じたい。
 今日もリフを作る。その動画をSNSにアップロードすることで、音楽家としての自分がまた一日延命される。呼吸のために泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロのようなものか。創作を続けていないと死んでしまう、これは呪いだ。

 一年続けたからといって劇的な変化が起きる訳でもないだろうけど、MOTHER2の天才写真家が駆けつけて記念撮影をしてくれるようなことがあったりしたら面白い。

イケシブに行ってきた。


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新しくなった渋谷のイケベ楽器に行ってきた。

初期ELLEGARDENの機材展示を見ておきたかった。

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ガラスの反射があるので昼間より夜の方が見栄えがいいのかなと思った。柱が邪魔なのは仕方がないか。

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自分が初めてエルレを観た時は機材交代の後、細美は黒い57レスポール、生形はビグスビー搭載の355、高田メタルはハゲハゲのプレベだった。高橋のドラムが何だったかはよく覚えてない。写真や映像でしか見たことがない初期の機材を生で見ることができてうれしかった。

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ケースに貼られたバックステージパス等のステッカーが歴史を感じさせる。

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細美武士の89年レスポールeasy gripのステッカーの文字はほぼ消えている。メインギター交代の際に綴られた細美のブログ、とても熱くて感動したのを覚えている。

https://nikkihozon.exblog.jp/5573869/

(元ブログは消えているのでコピー保存サイトのリンクです。)

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店内から見るとこの角度。4回折れたというレスポールのネックの補修跡は分からなかった。ストラップはライトニングボルトじゃなかった。

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現時点では高橋のサインのみ。

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エレベーター横に生形真一サイン入りのシグネチャーモデル。秋葉原のイケベックにあった物だろう。


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メタルをやりたくなるシェクターエクスプローラー。

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デューセンバーグ、かっこいい。

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ゴダンはエレガットのイメージしかなかったのだが、この5th Avenueというシリーズ、どれもかっこいい。

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この角度の杢目がたまらない。

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エフェクターがメーカーや種類ではなく色で分けられて陳列されていた。グラデーションになっていてきれい。ファズの隣にリバーブがあったりするのも面白い。

もうひとつ棚があったのだが写真を撮り忘れた。というかこれ以降写真を一切撮ってない。アコギもピアノも見てきたのだが。

 

大きな楽器屋で楽器を見て回る楽しさを改めて感じることができた。買わないとしても色々なギターを見るのは本当に楽しい。

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記念に黒ウブピックを買って帰った。

 

人との関わり

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 人と関わるのが恐い。

 SNSで知り合った音楽をやっている方はみんなやさしい。そういう環境に甘えて、自分も人並みにやっていけるのではないかと錯覚する。自分が化け物だということを忘れ、うっかり山を下りて人里に近づいてしまう。化け物と人とは相容れない。笑われ、恐がられ、石を投げられ、山に逃げ帰る。
 みんなが自分を笑っている。みんなが自分をバカにしている。そういう考えが頭の中を埋め尽くし外に出られなくなる。穴蔵に籠もる。地下室万歳。
 昔から人の輪の中に入るのが苦手だった。上手く打ち解けられなかった経験の積み重ねから不必要にびくびくしてしまい、ますます輪に入れなくなるという悪循環。それが余りに酷くて親が学校に呼び出されたとき、正直なことが言えなかった。家族の輪の中にも入れていなかったのかもしれない。

「いじめられる側にも問題がある」というような言い方をされ済まされたこともあるが、自分はその属性を纏っているように感じる。
 歩道に屯している中学生の集団の横を通っただけで「キモい」と言われたり、同じような状況で邪魔だなと思い通りすがりにチラッと見たら「見てんじゃねぇよ」と詰め寄られたり、そういうことは日常茶飯事だ。
 夢中になって桜の写真を撮った数日後、回ってきた自治会の回覧に「児童にカメラを向けていた怪しい男性」という事案として載っていたことがあった。発生日時からして間違いなく自分だったのだが、その場で注意してくれればカメラのデータを見てもらって濡れ衣を着せられることもなかっただろう。小学校の近くだということを忘れて写真を撮っていた自分に落ち度があったのかもしれないが。
 スタッフの制服を着て店舗内で作業をしていたときに、怪しい男が居るとお客さんに通報されて警察が来たこともあった。今にも犯罪を犯しそうに見えたのだそうだ。
 ここで挙げている例は経験した中でも軽いものだ。一体自分はまわりからどう見えているのだろうか。
 人より頭の回転が遅いのも災いしているのかもしれない。話をされていても理解に時間が掛かってしまい黙っている間に思ってもない方向に話が進んでしまう。そして一度受けた誤解を後から訂正するのはとても難しい。
 そのうち何もしていないのに何らかの容疑者として逮捕される日も来そうだ。

 人と関わるのをやめれば問題は起きない。人付き合いをせず、人が居るところには近づかない。自分の殻に閉じ籠もっていれば問題も誤解も諍いも生まれない。そういう風にひっそりと生きてきた。
 しかし情けない話だが、自分一人では何も為せないような人間なので、人との関わりに頼っている部分が大きい。
 ネットに公開していた曲を見つけて誘ってくれたメキシコのインディレーベルがなければヌンチャクゴリラとして活動を始めることはなかっただろう。
 KORG M01Dの購入を迷っていたときに背中を押してくれたmistymindsさんのおかげでM3を知り、DS-10コンピへの参加、さらにsbharuharuさんのリミックス・アルバム制作へと広がっていった。
 中村椋さんが誘ってくれたアレンジ祭でDTMerとの繫がりが増えた。
 今年一番の演奏は遠野朝海さんの即興に合わせて弾いたソロだったりする。
 自分の活動や作品が否定されたときは、いただいた感想やコメントやいいねに救われている。
 結局人と関わっていくしかないのだなと思いつつも、みんな社交辞令的にやさしく接してくれているだけなのではないだろうかと考え始めてしまいどんどん落ちていく。思い過ごしだということは分かっているはずなのだが、笑われているような気もバカにされているような気もまだしている。関わってくれているみなさんのせいではないのだが。

 先日、横浜に来ていたムラタユスラさんとライブ後にサシ飲みをしたのだが、普段音楽の話をできる人が身近に居ないこともあり、とても楽しかった。
 こういうこともあるのだから、人と関わることを恐れないでやっていきたい。

立ち止まれない

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毎日ギターを弾いている。
ギターを弾くのをやめるのがこわい。
一向に上手くならないのに。
誰からも必要とされていないのに。
自分の価値がなくなってしまう気がして、ギターを手放すことができない。
自分の価値って何だろうか。
まあ価値なんかなくてもギターは弾く。
世界に自分一人でも、自分のためにギターを弾く。
ギターを弾くのは楽しい。

戻らない進まない

頑張っていれば何とかなると思っていた。
続けていればいつかは手が届くと思っていた。
どうにもならなかった。
目指している場所には残りの人生を全て使っても辿り着けそうにない。そのことが分かっても引き返すにはもう遅い。夢中になっているうちに随分遠くまで来てしまった。
振り返ると引き換えに諦めてきたものが並んでいる。真っ当な仕事、結婚、子ども、豊かではないにしても人並みの生活、車、イヌ、色々なものを犠牲にしておいて、今自分の手には何もない。
元々人付き合いを殆どしてこなかったので外食することも後輩に奢ることもなく、もやし等安い食材ばかりで食い繋いで貯金をして、自分の音楽を奏でるための機材を揃えた。中古で買ったずっと憧れていたレスポール、雲よりも遙か上に居るあの人のギター、一生に一度くらいはと新品で買ったギブソンの355。
しかし欲しかった機材を揃えても、辿り着きたかった場所には立てていない。

茜さす庭

広い庭がある家に住みたい。
好きな木や花を植える。
天気のいい日には木陰でギターを弾く。
今の自分には無理だろうなと思う。
金銭的にだけでなく能力的に。
2時間DTMに参加するだけで家事が疎かになる。
毎日リフを作っているだけで部屋が荒れる。
M3に向けての制作期間の度に日常生活が崩壊する。
こんな自分に庭の手入れは無理だろう。
みんなどうやってこなしているのだろうか。
水仕事をすると手がふやけてギターが弾けないから、と後回しにしてしまう。
結局何でも理由をつけて後回しにしてしまう。
今も部屋が荒れている。
ギターを弾き終わったら本を読もう。
だけどギターを弾き終えることなんてないから積ん読が増える。
イヌを飼いたい。
こんなに荒れた生活の中に放り込まれるイヌの身になったらかわいそうで飼えない。
休みが取れなくて旅にも出られないから飼うにはちょうどいいはずなのだが。
できない理由を先に考えてしまう。
思い切って踏み出せばその先の行動を変えられるかも知れないのに。

紙切れ一枚の自信

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 綾と貢、同じデパートに勤める結婚三年目の夫婦の話。

 会社のサッカー部がなくなった貢がJリーグ入りを目指すアマチュアのクラブチームにスカウトされ、綾に無断で入団を決めてしまうところから物語は始まる。
 それをきっかけに夫婦の関係がぎくしゃくし出す。いっしょに暮らしているのに挨拶以外の会話がなくなる。話し合うべき大事なことも話さなくなる。同じようなことを考えているのにすれ違う。はらはらするようなことがどちらにも起こる。
 会社とは無関係、本気だが無報酬のサッカー。サッカーを全力でやっているからこそ手を抜かずに仕事手をやれている貢、どんなに仕事がきつくてもサッカーのおかげで切り替えができ気持ちが楽になる。働きながら音楽をやっている自分達と重なる。
 試合のあとやりきれなくて一人で飲み続けて酔っ払い、帰るに帰れなくて自宅近くの海でコンビニで買ったビールを飲んでいる貢。試合は昼過ぎに終わったのに午後九時になっても帰らない。心配した綾からの電話に「おれ、何か、キツいわ」ともらす。その一言で意地を張り合っていた夫婦が元に戻る。来てくれと言葉にした訳ではないのに綾はちゃんと迎えに行く。貢は貢で言葉にしていないのに呼び出した自覚がある。

「結婚は、それ自体が奇跡。そう。たかが紙切れ一枚。おれはその紙切れ一枚で、綾のことが他の誰よりも好きだと公的に表明したのだ。と同時に、綾にも表明してもらったのだ。確かに、人としての自信になった。うれしかった」(p.273)

 結婚したことないから分からないけど、そういう自信が自分に足りないものなのだと思った。
 ぎくしゃくしていてもそこは夫婦になった二人、どこかでちゃんと繫がっているから、危機が訪れても揺るがない。自分はそういう関係を築けていないから、うらやましい。


小野寺史宜『それ自体が奇跡』講談社文庫