あるいは『仕事がある日の平凡な一日。』
夜明け前に起きる。
部屋から見える朝焼けがきれいだったら写真に撮る。
雲の動きが面白そうな時はタイムラプス動画を撮ることもある。
写真を見せたい人が居るような居ないような、起こしてしまったら申し訳ないなと思い留まる。
代わりにインスタグラムに上げる。
タグを付けなければ誰の目に留まることもなく埋もれてしまう。
俺の写真なんてそんなもん。
俺の音楽も、俺の人生も、きっとそんなもん。
右上腕部が痛むので朝練はサボることにする。
通勤中は音楽を聴く。
時代遅れのiPod classic。
カナル型は外音が遮蔽されて危ないのでインナーイヤー型のイヤフォン。
通り過ぎて行く風景で季節の移り変わりを感じる。
この前見つけた季節外れのタンポポが綿毛になっている。
夏は道端でクワガタを何回か見かける程度の田舎。
通勤中でもこれはと思ったら写真を撮る。
誰にも見せないことが多い。
職場に着く。
肉体労働と頭脳労働がちょうど半々くらいの仕事。
今の仕事に対する思い入れはひとかけらもない。
生きていくには稼がないといけない、ただそれだけだ。
やり甲斐だの生き甲斐だの向上心だのという話をされても、俺はそんなに立派な人間じゃない。
それでも仕事と責任は増える一方で、職場のストレスチェックに引っ掛かり人事課に呼び出しを食らう。
上司にも報告が入る。雑用は下に振って’負担を減らせと言われる。
そんなこと言われても、全体を見渡せる人にしか細々とした仕事は見えて来ないのだぜ。
ちょっとしたことで注意されることが続き、上司に話し掛けられると言葉に詰まり咄嗟に返事ができなくなる。
吃音症がすぐそこまで戻って来ている。
帰宅後、すぐにごはんを食べる。自炊率は半々、昼ごはんは弁当を持参している程度。
テレビは観ない。
ヨーロッパのサッカー中継が地上波から駆逐されてから、かれこれ10年以上は実家以外でテレビを観ていない。
ラジオはよく聴く。ポッドキャストも。
JUNKを全曜日聴いていたこともあったが、朝が早いので体が保たなかった。
ラジコがタイムフリーを始めたので時間を気にせず聴けるようになったのはうれしいが、深夜放送のあの独特の雰囲気は生で聴かないと味わえない気がする。
ギターを弾く。
手元の弦の振動がアンプを通して増幅されているのを聴くと心に力が漲る。
仕事をした日は右腕が突っ張ったような感じで上手く動かない。
ゆっくりウォームアップしても速いピッキングまで持って行けない。
演奏技術が上がっているのかよく分からない。
ギターを弾いていたらいつの間にか寝なければいけない時間になっている。
明日の弁当を作る余裕がなくなっている。
冷蔵庫の食材の行く末を心配しながらシャワーを浴びる。
眠りにつくまで音楽を聴いたり本を読んだり。
今日はキース・ジャレットによるバルトークのピアノ協奏曲第3番。
昨夜松本昭彦のピアノ前奏曲集を聴いていたら何故かバルトークを聴きたくなったのだが、関連性はない。
読むのは小説が多い。
うつらうつらしながら頭に浮かぶのは大体いつも同じこと。
何のために生きているのだろう。
誰のために生きているのだろう。
自分には何かできるのだろうか。
自分が居なくなっても誰も困らないだろうな。
作りかけの曲が色々あるな。
読みかけの本はたっぷり積んであるな。
だから明日も明後日も、きっと生きている。