父を見送ってきた。

 父が亡くなった。

 M3の時には既に他界していた。通夜と葬儀の日取りがM3を避けるように決まり、天からのはからいだと思い準備不足ながら参加した。父の病室からの最後の反応がメタルコンピとM3に関する投稿へのコメントだったこともある。

 通夜が終わってから父に手紙を書いた。
 気持ちの整理をつけようと思って書き始めたのだが、そんなもの一生つきそうにない。後悔ばかりが頭の中に浮かび、それらを詫びるように父に報告した。

 仕事が忙しくなり実家にあまり顔を出していなかった時期に父の病気が発覚した。
 化学療法を始めるための入院のはずだった。かなり進行していたものの、まだどうにかなる見込みだった。一度目の投薬の後はすぐに帰宅することになっていたし、父も退院後の話をしていたので、どこか楽観的に考えていた。こういう場合は常に最悪の事態を想定しておかないといけないのに。入院前夜、寝室で寝ようとしていた父と握手をしながら「頑張ってね」と伝えた。それが家での最後のやりとりになってしまった。
 現実は考えられる最悪の事態より遙かに悪かった。
 検査の後、化学療法は断念して自宅療養に切り替えることになり、酸素やベッド、訪問医療、介護保険等の手配をした。家に帰って来てから今後のことも含めて色々話せばいいと、この時もまだ楽観的に考えていた。父は帰宅することなく、病院で息を引き取った。
 コロナ対策のため、入院中に面会できなかったことが本当に悔しい。話しておきたいことが山ほどあった。父はスマホを持ち込んでいたが、見込んでいた事態との違いに気を落としていたのか、連絡は途切れがちだった。それでもこちらから一方的にもっと色々と送り付けておけばよかった。治療を断念せざるを得なかった父の悔しさを思うと胸が痛い。
 行き場を失ってしまった父への感謝の気持ち、それを伝えきれなかった悔しさは自分で抱え込むしかない。何より、父の最後の思いを受け止める術は本当になかったのかという後悔がある。それは消えずにずっと残っていくのだろう。父はもういない。