2023年に解散してしまう楽器を持たないパンクバンドのこと

 つまりはどハマりしたBiSHについて。

 

 これを書き始めたのはかれこれ2年前になる。下書きフォルダにずっと入ったままだったのだだが、富士急ハイランドにおけるBiSH史上最大規模の野外ワンマンに行く前にまとめておきたい。

 BiSHに関しては、変わった名前のメンバーで構成されている下ネタOKの異色なアイドル・ユニットという程度の認識しかなかった。
 アンテナの感覚を鈍らせていた自分を呪う。もっと早くにちゃんと出会いたかった。


「Discommunication」

 きっかけは9mm Parabellum Bulletのトリビュート・アルバム『CHAOSMOLOGY』だった。
 9mmは昔から今まで変わらない熱量で聴き続けている数少ないバンドのひとつなのだが、それについては改めて書きたいと思う。前に少しだけ書いたこともある。【参照】
 BiSHによるこのカバーを聴いた瞬間「なんだこのかっこいいバンドは!?」と思った。元曲よりテンポの速いアレンジがかっこよく、ロックなギターが効いている。ボーカル何人居るんだ?と思ってブックレットを確認したらBiSHだった。あー、あのなんとかジエンドが居るやつだ、となった。こんなにハマることになるとは思いもよらなかった。

 9mmトリビュートを買った翌週、再びタワレコに赴き、割と出たばかりのミニ・アルバム『LETTERS』とベスト盤『FOR LiVE -BiSH BEST-』を買った。『LETTERS』はメンバー直筆の手書きジャケットが封入されていて、何枚かある中から「私は誰でしょう?」と書かれているものを選んだ。後で分かったのだがハシヤスメのだった。定価で売られている商品にサインが付いているというのは良心的だ。


「スパーク」

 不安につぶされそうになっても前を向いて走り出す勇気をもらえる。


「BiSH-星が瞬く夜に-」

 スパーク同様、いつも救われる思いで聴いている。自分がどう見られていようが気にする必要はないという風に勝手に解釈している。


「スーパーヒーローミュージック」(作詞:アユニ・D)

  でも歪んだギターが
  心地がいいのです
  痛みを掻き消してくれる

 という歌詞のエモさにやられる。メンバーであるアユニ・Dによる作詞。本来ならロックバンドが歌うべき歌詞を書けるかっこよさ。日本のロックバンドよ、発音めちゃくちゃで聞き取れない英語で歌ってないで、こういうまっすぐに伝わるのを歌ってくれ。


「本当本気」

 これもアユニ・Dによる作詞。いつか見返してやるという強い気持ちに勇気をもらう。


 一通り音源を聴き込んだ後、YouTubeアーカイブされているBOMBER-Eのスタジオライブを観まくった。そこでどの声が誰のものなのか答え合わせができた。他のライブ映像では分かりにくい清掃員の動きやかけ声がはっきり確認できるのもよかった。BOMBER-Eは入門者におすすめ。


『BiSH Documentary Movie SHAPE OF LOVE』

 ミュージックステーション初出演から横浜アリーナ公演へと至るドキュメンタリー。観ながらずっと泣いてしまう。いったい何に共感しているのか、誰に感情移入しているのか、とにかく泣いてしまう。
 メンバー間の雰囲気が悪くなりそうな時に泣きながら自分が伝えるべきだと思ったことを話すアユニ。
 喉の調子が悪いアイナ、見ているこっちまで苦しくなる。
 誰かが不調な時は他のメンバーがフォローする、任せられるところは任せて助け合える信頼関係が少しずつ出来上がっていくのが分かる。
 アユニ、札幌の凱旋公演で客の中に親の姿を見つけた瞬間に泣き出して歌えなくなってしまう。それを見てこっちも泣いてしまう。人目に付かないように登下校していたアユニが今はステージに立っている。
 清掃員との距離が近く連帯感が増すライブハウスでの「BiSH-星が瞬く夜に-」。

 もっと早くに知って、横浜アリーナ即完をいっしょに祝いたかった。


「スパーク」「BiSH-星が瞬く夜に-」の2曲には本当に救われた。
「プロミスザスター」「オーケストラ」には力をもらった。
 他にもたくさん好きな曲ができた。
 ライブ映像も何度も観て、その度に本当に救われた。コメンタリーでの仲の良さにはほっこりしたし、息の合った下らないノリが楽しくて腹の底から笑った。


 アイドルとは何なのか?
 人生を変えるとかそんな大きな力じゃなくていい。どうしようもない日常をただやり過ごすためのちょっとした支えになってくれる。
 それでいて他には替え難い圧倒的な存在感を放っている必要不可欠な小さな光。自分が歩く足下をほんの少し照らしてくれる。それがアイドルという存在なのではないだろうか。


 好きな理由を分析して書こうと思っていたのだが、そんなことはどうでもいいのかもしれない。好きなものは好きだし、理由なんて上手く説明できないぐらいがちょうどいい。

 BiSHに出会ってから2年が過ぎた。明日、ようやくライブで観ることができる。「BiSH-星が瞬く夜に-」の間奏でBiSHと清掃員のみんなとヘドバンできたら、泣き崩れてしまうのではないか。

 

フライングVはRPGにおける勇者の剣なのか

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 タイトルは橘高文彦のインタビューからの引用だ。それを手にしてしまったら平穏な生活を捨ててドラゴンと戦うための旅に出るしかない。

 ギタリストにとって運命の一本に出会うことはとても重要なことだ。
 自分は長年ギターを弾いてきたが、これまで運命の一本に出会うことができなかった。高校生の時、池袋の楽器屋で憧れのギタリストが使用していたのと同モデル同年代製のギターを見つけたが、親に金銭面の相談をしているうちに売り切れてしまった。あのギターを手にしていたら自分のギター人生は少し違ったものになっていたのかもしれない。

 自分にとってメインギターとは何だろうか。
 誰かへの憧れやシグネチャーモデルではなく、自分らしい一本をいつも夢見ていた。ギター人生をともに歩んでいく唯一無二の相棒、そんなギターが欲しかった。橘高文彦と67年フライングVのような関係が羨ましかった。
 運命の出会いがなければ捏ち上げてしまえばいいという思いで高校から使っていたギターのパーツ交換をしたり、PRS SEを好みに寄せるためにいじりまくったり、パーツを寄せ集めてストラトを組んだりしたが上手くいかなかった。その間に好きなギタリスト2人のシグネチャーモデルを1本ずつ買ってしまった。ストラトは5年掛けて納得の一本になったのだがそれはまた別の話。

 去年の秋頃、りもーすさん主催のメタルコンピへの参加を表明し、久し振りにメタルをやる決断をした。思えばギターを始めた当初はメタルギタリストを目指していたのだが、メタルを弾きこなすためのテクニックが身につかず遠ざかってしまっていた。そしてメタル回帰のためにはどうしても必要だと思い長年の憧れであるフライングVを探し回った。Vを手にするのは人生においてこのタイミングしかないと思った。しかし時代の流れなのか、ハイエンドギターを扱っている店にはカスタムショップ製のVが何本もあったりするのだが、Vシェイプを置いてる楽器屋は本当に少なかった。結局立川の楽器屋で見つけた、ギブソンでは最安のFadedシリーズの中古を買った。
 何度も眺めては手にする覚悟がなく見送っていた形。V独特の中高域が目立つ音。泣きのフレーズはVから引き出されるのだということを実感した。
 色は違うものの、橘高文彦の67年Vとシルエットだけでも同じにしたくてブリッジとテールピースを交換し、トグルスイッチの向きを変え、エスカッションをピックガードにネジ止めした。エンドピンの位置も変更したかったが木部へ手を入れるのは躊躇ってしまいそのままだ。出力が高めのピックアップはT-Topのレプリカに換装した。
 もう今後のギター人生はこれでいけるんじゃないか、という一本になった。
 その後の冬休みアレンジ祭の提出曲をギター演奏のみで作り上げたのもこのフライングVがあればこそだった。

 長い長いギター探しの旅がようやく終わった。

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 訳ではなかった。

 

 シグネチャーモデルではないとはいえ憧れから使い始めたフライングVを自分の相棒としてよいものなのか、というのが頭の片隅にあった。なのでなんとなくギター探しは続けていた。そして見つけてしまった。
 Kino Factoryという長野にある工房のVシェイプのギター、vysk。去年Vを探していた頃にはまだ出来ていなかったギター。海外製ではなく国産のギターというのもうれしい。
 誰かへの憧れやシグネチャーではない自分にぴったりの一本はこれなのではないかと思った。今のところこの仕様はこれ一本しか作られていないようだし、モデル名に自分のイニシャル入ってるし。
 調べてみたらv=Vシェイプ、y=よしだ、s=さくら、k=Kino Factoryで「vysk」となったそうだ。当たり前だが「sk」は自分のイニシャルではなかった。(補足しておくが、vyskはメタルバンドHAGANEのギタリストよしださくら氏が命名の元にはなっているが、白ボディにミラーピックガード、1ハムのvyskがよしださくらシグネチャーモデルで、vysk自体はよしださくらシグネチャーという訳ではない。そして自分は断じてHAGANEおよびよしださくらのファンではない)

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 写真と仕様説明を見てピンときたvyskではあるが、置いてあるのは浜松にある楽器屋で、自分が買いに行くまでに売れてしまわないかとひやひやしながら日々を過ごしていた。
 丁度と言っていいのか分からないが、楽しみにしていた富士急ハイランドでのイベントが延期になってしまい、申請していた休みが宙に浮いてしまう形となった7月の終わり、今日しかないと思い朝ごはんを食べながら浜松に行くことを決めた。

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 新幹線で浜松へ。移動時間がたっぷりあると思い文庫本2冊を鞄に入れて出たのだが、車窓から景色を眺めるのが楽しくて一文字も読めなかった。

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 楽器店へ向かうためのバスを待っている間にヴァイオリンを抱えている人を何人も見かけた。やはり浜松は音楽の街なのか。何故かポルトガル語で注意事項が書かれている看板。

 楽器店に着くなり、すぐにvyskの試奏。担当の方がその場で新品の弦に張り替えてくれた。 緊張しながら最初はクリーンで音を出す。ネックの幅も太さも丁度いい。指板も丁寧に加工されていて弾きやすい。指が慣れてきたところで歪みチャンネルに切り替える。高音弦のビブラートの反応がとてもいい。指先で意図したことが瞬時に音に変わって響いてくれる。自分の腕前が一段階上がったような気持ちになる。運命の出会いってこういうことか!と実感した。買うしかないというより、自分の物にしたいという思いが強かった。

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 Kino Factory vysk 2H Walnut

 高校生の時にあのギターを買えなかったのも、憧れが強いのに何度か目にしたスパークリング・バーガンディのフライングVを買わなかったのも、このvyskに辿り着くためだったのだと思う。
 ギター選びにおいて重要なのは、その楽器を選択した自分を信じて使い続けていくことなのだと思う。それが運命だと信じて自分の道を歩き続けていく覚悟があれば、そのギターは寄り添って支えになってくれるはずだ。

 

参考文献
『PLUM別冊 橘高文彦 魅惑のハード・ロック・ギター教本』立東社 (1992)
『ヤング・ギター6月増刊号 100%橘高文彦』ワイ・ジー・ファクトリー (1994)
『Fumihiko Kitsutaka 25th Anniversary ~LIVE! DREAM CASTLE~』Blasty (2011)
『SHINKO MUSIC MOOK ヘドバン Vol.2』シンコーミュージック・エンタテイメント (2013)

夢の跡地のコーヒーカップ

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 父には愛用していたコーヒーカップがあった。こうして目の前にあるのに何故過去形なのか、それには理由がある。
 父は一度このカップを割ってしまった。コーヒーを飲むために食器棚からソーサーといっしょに取り出し、不注意でソーサーを傾けてしまいカップだけが床に落ちて粉々になった。よほど気に入っていたのか、カップが割れてしまった後もソーサーは取って置いてあった。
 それから一年ほどが経過したある日、フィジーの出張から戻った父はやけにうれしそうだった。出張の荷解きをしながら「あのカップがあったんだよ!」と得意気に取り出したそれは割ってしまったカップと同じ物に見えた。どうやら宿泊したホテルでコーヒーを頼んだらこのカップに入れられて出てきたらしい。それは取ってあったことすら忘れそうになっていたソーサーにぴったりと乗った。
 どう交渉してホテルから譲り受けたのかは知らないしもう確かめる術はないが、そのカップは今も実家の食器棚にある。
 元々はドリームランドに行った際に買った物だった。そのドリームランドもだいぶ前に閉園になってしまった。

 

『?』について

「M3春2022にて全曲隠しトラックと銘打って頒布したCDの解説のようなもの」

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 最近創作のペースが落ちている。
 賢さんコンピとメタルコンピの準備に予想以上に時間が掛かってしまい、当初考えていた自分のアルバムは諦めた。そのアルバムは本来なら去年の秋、活動10周年記念盤と同時に出すつもりでいた。
 ギターは毎日弾いている。曲も作っている。しかしいざ形にしようとするとなかなか捗らない。こういう状態が何か月も続いていることに気持ちが焦って空回りしている。
 上手くいかないときは一旦休んだ方がいいという助言もいただいたが、一度手を止めたら二度と戻って来れない気がする。

 作りたいと考えているものがたくさんあり、それらをひとつずつ形にしているうちに新たにやりたいことが出てくる。本当に次から次へと。使える時間には限りがあるし、全てを作り切ることができないのは分かっている。取捨選択をするのがつらい。全部作りたい。
 しかしどれも完成させることなく、明日突然死んでしまうかもしれない。山ほどあるやりたいことを前に悩んでいても仕方がないのだが。

 今回の新譜は、この先世に出すつもりのアルバムの中から先行して試しに作ってみた曲をまとめることにした。
 全曲隠しトラック扱いということでCDDBにはふざけた情報しか登録しなかったのだが、ここでのみ曲名を明かすことにする。


 [1] flickering
  軽率にエフェクトをあしらった気負いのないピアノ小品集より。

 [2] Firestarter
  リフ主体で頭の悪そうな勢いしかないアルバムより。
  これはアルバム・タイトルも決まっているので、12曲揃うまではリリースできない。

 [3] MNTRBEXTR#2
  アナログモノフォニックシンセ単体で作り上げた実験的なアルバムより。
  アナログシンセの低音が太過ぎてバランスを取るためにかなり音圧を下げた。外部シーケンサー等を使わずに単体でどこまでできるのか追求していきたい。

 [4] kmrbkrkr
 即興的な多重録音によるアンビエント

 [5] Jesu, Joy of Man's Desiring (J.S. Bach)
  クラシックの曲をアナログシンセで再構築したアルバムより。
  DAWMIDI制御に不具合があって使えないので、これは参考としてKORG DS-10で作ったもの。

 [6] thousand drops
  様々な場面の雨をモチーフにしたアルバムより。
  常日頃「落雷のようなリフと雨粒のようなアルペジオ」を心掛けてギターを弾いている。

 [7] Air from Goldberg Variations (J.S. Bach)
  多重ギターとノイズによって再構築されたバッハのゴルトベルク変奏曲
  いつか全曲録音したいが、今回やってみて年単位の時間を要するということが分かった。

 [8] Air on the G String (J.S. Bach)
  ボーナストラック。
  M3前日の夜中に7曲のマスタリングを済ませ、何かおまけを入れたいなと思い倒れ込んだベッドの上でつま弾いた。これを入れることにより新譜のバッハ率が37.5%とかなり偏ったものになってしまった。


 基本的に自分の作品は要望がある限り追加生産するし廃盤にはしないのだが、今回の新譜に限っては配信もしないし追加生産もしないつもりだ。そのため半端なカタログナンバーを振った。
 創作不振な時期に足掻いた記録として何か残しておきたかった。半年に一度の同人イベントが人生における救いなので。

 

父を見送ってきた。

 父が亡くなった。

 M3の時には既に他界していた。通夜と葬儀の日取りがM3を避けるように決まり、天からのはからいだと思い準備不足ながら参加した。父の病室からの最後の反応がメタルコンピとM3に関する投稿へのコメントだったこともある。

 通夜が終わってから父に手紙を書いた。
 気持ちの整理をつけようと思って書き始めたのだが、そんなもの一生つきそうにない。後悔ばかりが頭の中に浮かび、それらを詫びるように父に報告した。

 仕事が忙しくなり実家にあまり顔を出していなかった時期に父の病気が発覚した。
 化学療法を始めるための入院のはずだった。かなり進行していたものの、まだどうにかなる見込みだった。一度目の投薬の後はすぐに帰宅することになっていたし、父も退院後の話をしていたので、どこか楽観的に考えていた。こういう場合は常に最悪の事態を想定しておかないといけないのに。入院前夜、寝室で寝ようとしていた父と握手をしながら「頑張ってね」と伝えた。それが家での最後のやりとりになってしまった。
 現実は考えられる最悪の事態より遙かに悪かった。
 検査の後、化学療法は断念して自宅療養に切り替えることになり、酸素やベッド、訪問医療、介護保険等の手配をした。家に帰って来てから今後のことも含めて色々話せばいいと、この時もまだ楽観的に考えていた。父は帰宅することなく、病院で息を引き取った。
 コロナ対策のため、入院中に面会できなかったことが本当に悔しい。話しておきたいことが山ほどあった。父はスマホを持ち込んでいたが、見込んでいた事態との違いに気を落としていたのか、連絡は途切れがちだった。それでもこちらから一方的にもっと色々と送り付けておけばよかった。治療を断念せざるを得なかった父の悔しさを思うと胸が痛い。
 行き場を失ってしまった父への感謝の気持ち、それを伝えきれなかった悔しさは自分で抱え込むしかない。何より、父の最後の思いを受け止める術は本当になかったのかという後悔がある。それは消えずにずっと残っていくのだろう。父はもういない。

 

輝くために燃やしているものは眩しさで見えない。

 ここのところ恒常的な残業で時間と体力を削られ続け、創作が滞っている。
 ここ3年はM3の開催に合わせて半年ごとに1~2枚アルバムを作るということを続けてきたのだが、今回ばかりは無理じゃないかという気がしている。
 表現したいことが自分の中に堆積していきパンパンに詰まってしまい、固まって何も作れなくなるような気がして怖い。みんなやっているからという理由で自分もできる気になって続けてはきたが、私生活が復旧できないほど荒れている。
 これは自分のことを言っているのではないが、働きながら、家庭を守りながら、子育てをしながら、創作を続けている人は本当にえらい。

 自分にとって創作とは何なのだろうか、というのはちゃんと分かっている。自分の魂が腐らないために何が何でも続けていかなくてはならない。きっと聴く人が居なくても、この世に自分一人でも、続けていくことなのだと思う。みんなもそうであって欲しい。そのために払っている代償、魂を保つために削っているものは他の人からは見えない。犠牲になっているものは計り知れない。

 別にそんな大袈裟なことを言いたい訳ではない。

 実家にはマトリョーシカがあった。もしかしたら今もあるのかも知れない。
 まだ幼稚園児だった頃、マトリョーシカの最後のひとつを取り出し、代わりにピーナッツを入れたことがある。誰も開けたりはしないので、何か月もずっと気づかれないままだった。時折マトリョーシカの中のピーナッツとレゴブロックの中に隠した一番小さいマトリョーシカをこっそり確認しては、うれしさと不安が混ざったような気分に浸っていた。
 これが何かを創作するということなのではないだろうか。誰に気づかれずともそうしなくてはいられない衝動。日の目を見ないまま終わったとしても、そっと胸にしまってそれとともに歩み続けることが創作をし続けるということなのではないだろうか。
 そして、気づいて欲しくて「マトリョーシカを開けてみて」と声に出せる人は宣伝上手な人。

ブラス製スプリングハンガー

気になっていたブラス製のパーツが届いた。

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Creatifinity Parts - CTSC-2 ブラス製スプリングハンガー

一般的なスプリングハンガーに比べて重量がかなりある。

パーツの質量変化が音に与える影響についてはタイタン吉田さんが分かりやすくブログにまとめているのでリンクを貼っておく。

https://ameblo.jp/pink-titan/entry-12679120447.html

 

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弱めのスプリングを張っていることもあり、弦のゲージを変えたときにより締め込めるよう付属のスプリングは使わないことにした。

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ハンガーの現状位置をマーキングしスプリングを外す。魔女の護符が丸見え。

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あとは取り付けて位置を合わせて締め込むだけなのでギターパーツの交換の中ではとても楽な部類。

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元々ネックプレートもブラス製3mm厚の物にしている。

結果どうなったかというと、高域のきらびやかさが増した。サステインも増えた。1弦15フレット以降の伸びがよくなったのはうれしい。

検証のためのビフォーアフターの録音をしておけばよかった。

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ギターを何本も持っているのに、何でもこなせる理想の一本を夢見ていじり続けてしまうのがギター弾きの習性。

今回のはブログに投稿するほどの内容ではなかったか。